貴親方と協会 対立の歴史、発展尽力も北の湖理事長死去が節目

[ 2018年9月26日 05:30 ]

貴乃花親方 衝撃の引退届

引退会見を終え口元を引き締める貴乃花親方(撮影・三島 英忠)
Photo By スポニチ

 自分の信念を貫き通した結果、貴乃花親方は日本相撲協会を去ることになった。その親方人生は、協会との対立の歴史でもあった。

 始まりは2010年の理事選だった。当時在籍していた二所ノ関一門が出馬候補を固めていた中で、協会を改革すべく立候補を表明。結果、一門を離脱することになったが、8年ぶりの選挙の末に初当選を果たした。北の湖前理事長(元横綱)には将来の理事長候補として期待され、14年には執行部入りして総合企画部長に就任した。

 相撲の発展に尽力しようと心血を注いでいたが、15年11月の北の湖前理事長の死去により、状況は一変した。16年の理事選で4選を果たした際には、劣勢と言われる中で丸刈りになって理事長就任を目指したが、多数決により敗れた。職務分掌では執行部から外れ、巡業部長となった。

 貴乃花親方は常々、「弟子は家族と同じ」と話していた。元横綱・日馬富士の傷害事件では弟子の貴ノ岩が被害者となったため、真実追求に固執した。第三者の判断を仰ぐために、警察の捜査に一任。協会の事情聴取の要請などに耳を傾けることなく、対立は色濃くなっていった。貴乃花一門の親方には、迷惑を掛けられないとの思いで一切、相談しなかった。結果、孤立していく形となった。

 協会が貴乃花親方の引退届を受理していないため、現時点で退職は認められていない。話し合いでの解決が望ましいのは明白だが、貴乃花親方と相撲協会の間にある溝は深い。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「卓球」特集記事

2018年9月26日のニュース