男子→女子が男女平等なのか?東京五輪競技日程に思う

[ 2018年7月22日 13:10 ]

お披露目イベントに登場した2020年東京五輪の大会マスコット「ミライトワ」とパラリンピックの「ソメイティ」。左は組織委の森喜朗会長、右は東京都の小池百合子知事
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 先日、映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を観た。往年の米国人女子テニス選手、ビリー・ジーン・キングが、1960〜70年代にかけ、テニス界における男女平等を訴え、文字通り「バトル」を繰り広げる姿が描かれている。詳細はネタバレになるので省くが、スポーツ記者として、一映画ファンとして、非常に楽しめたことは記しておきたい。

 さてこのキング夫人なら、20年東京五輪の競技日程をどう評価するだろうか。18日に国際オリンピック委員会(IOC)で承認された日程によれば、伝統的に女子→男子の順に行われていた決勝が、いくつかの団体球技で入れ替わることになった。すでに16年リオ五輪から男女が入れ替わったホッケーに加え、東京ではバレーボール、バスケットボール、7人制ラグビー、ハンドボールの決勝が男子→女子の順で行われる。IOCの掲げる男女平等が具現化されたものだが、これだけでいいのか?との思いも拭い切れない。

 男子だけの陸上の50キロ競歩、逆に女子だけの新体操などの種目は一部あるが、多くの競技で男女ともに種目が設定されている。団体球技はその一部で、例えば柔道であれば男女各7階級が1日1階級ずつ行われるが、決勝は必ず女子→男子の順番だ。もっと言えば、レスリング、テコンドー、重量挙げも含めて階級制の競技は、軽量級→重量級の順で行われる。なぜか?と問われ、論理的で明確な答えを出せるだろうか。

 男女平等を掲げるならば、この重量級偏重の日程も変化が加えられて然るべきではないか。身体的に女性より男性、小さい人間よりも大きい人間、軽い人間よりも重い人間が強い。その論理は分かるが、そのことと一つの試合が持つ魅力、メダルの価値に違いはないからだ。

 当初掲げた「コンパクト五輪」は会場や予算の面でもすでに破綻している東京五輪。男女格差の破壊、階級格差の破壊をすれば、スポーツを超えたあらゆるステレオタイプの破壊につながり、後世に名を残すだろう。IOC、大会組織委員会、各競技団体の勇気ある一歩を見てみたい。(阿部 令)

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2018年7月22日のニュース