左手の指がないアスリート NFLドラフトで脚光を浴びた22歳に拍手喝采
【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】左手の指は形状がふぞろいだった。4歳になったとき、そこに痛みも加わった。子どもなりに悩んだのだろう。気がつけばキッチンにあったナイフを右手で握っていた…。「切ってしまおう」。その苦悩が深刻なものだったことを知った母タンジーさんと父テリーさんは覚悟を決める。「この子にこれ以上、つらい思いはさせたくない」。その翌日、手の甲から先を切断する手術を受けさせ、とりあえず痛みからは解放され、見たくなかった指先も視界からは消えた。
シャキーム・グリフィン(22)のスポーツ人生は多くの子どもたちと違い、絶望感の中から始まっている。タンジーさんの胎内で傷ついた羊膜が手首に絡みつき、そこが変形したままシャキームはフロリダ州セントピーターズバーグで1995年7月25日に生まれた。
羊膜索症候群(Amniotic Band Syndrome)。奇形を伴うこの病気が彼の運命を変えたと言ってもいい。ひと足先に生まれた双子の兄シャキールには影響はなかったが、弟の左手の指先はゼリー状だったと言われている。
もし不運の中に希望があったとすれば、それは兄の存在だったかもしれない。幼いころからともにスポーツが大好き。シャキームは陸上、野球、そしてフットボールの選手として活躍した。
そしてセントラル・フロリダ大から声がかかった。ボールをキャッチすることはできないが、相手のQBに圧力をかけるアウトサイドのラインバッカ―(OLB)としての能力は抜群だった。
実は同じくフットボール選手だった兄シャキールはセントラル・フロリダ大よりも強豪校として知られていたマイアミ大フロリダにコーナーバック(CB)として入学することができた。しかし結局、弟が選んだセントラル・フロリダ大に一緒に入学することを選択。理由こそ明かさないが、生まれてからの苦悩を知っている弟が心配で、そばでずっと見守っていたかったのだろうと思う。
兄は昨年のNFLドラフトで、3巡目(全体90番目)にワシントン州シアトルを本拠にしているシーホークスに指名されてプロ入り。ただし大学に残った弟はかえってたくましくなった。
セントラル・フロリダ大は昨季13戦全勝。今年1月1日のピーチボウルでは強豪カンファレンス、SECに所属しているオーバーン大を34―27で下し“陰の全米王者”とまでささやかれた。その大舞台でシャキームはディフェンス部門のMVP。泣いてばかりいた4歳のころの面影はもうなかった。
しかしNFLドラフトで指名を受ける可能性がある選手たちの身体能力テスト(コンバイン)にシャキームは招待されなかった。大学から先にはフットボール人生はないと判断されたのだろう。無理もない。左手の問題だけでなく、彼はパス・ラッシャーとなるOLBとしては1メートル85、103キロと小柄な部類に入る選手だったからだ。
だがあきらめない。シャキームは「自主参加組」としてコンバインに乗り込んだ。そして各球団のスカウトはあっと驚くことになる。なにしろ走力の目安となる40ヤード走では、ランニングバック(RB)やワイドレシーバー(WB)並みの4秒38を記録。コンバインに参加したラインバッカ―としては史上最速タイムをたたき出したのだ。さらに義手をつけた状態でのベンチプレスでは102キロを20回連続でクリア。指先はないが、シャキームの身体能力は誰がどう見ても全米トップクラスだった。
そして4月26日、NFLドラフトはテキサス州アーリントンのAT&Tスタジアム(カウボーイズの本拠地)で始まった。初日は1巡目の指名のみ。シャキームの名前はコールされなかった。27日には2巡目と3巡目の指名が行われたが、ここでも各球団はセントラル・フロリダ大のOLBに興味を示さなかった。
残るは28日の4巡目から最終7巡目までの指名。4巡目を終えて自分の名前が出てこなかったことを知ると、シャキームはたまらずトイレに駆け込んだ。
そこに兄シャキールが飛び込んでくる。気がつけば携帯電話が鳴っている。「おい、電話に出るんだ。早く、早く」。兄につかまれながら電話に出たシャキームは、ようやくその通話の相手がNFLのドラフト担当者だったことを知った。
「本当ですか?」。シャキームがトイレに行っている間に、兄が在籍するシーホークスが5巡目(全体141番目)でその弟の名をコールしていた。場内からは大歓声。4〜7巡目に指名されそうな選手はそのほとんどが自宅に待機して報告を受けるが、スタジアムにまで足を運んだシャキームはコンバイン同様“現場”でドラマの主人公となった。
大学もNFLもチームは同じ。双子の兄弟はトイレの外の通路で周囲をはばからず抱き合って泣いた。「最初はなぜ兄が自分にタックルするかのようにぶつかってきたのかわからなかった。何が起こったのかも知らなかった。でもすべてがわかったとき、もう涙が止まらなかった」。
左手の指は戻らない。しかし「ない」ものを悔やむのではなく「ある」ものを生かすことでシャキームは人生を変えた。
もちろん開幕ロースターに残るには今夏のキャンプとプレシーズンゲームでチーム内の競争に勝たなくてはいけない。プロの洗礼も浴びるだろう。それでもここまでたどり着いたこと自体が彼にとっては大きな意味を持った。自分で自分の手を葬ろうとした4歳の男の子。18年後に待っていたのは嵐のような拍手と歓声だった。
NFLで手を失った選手がプレーするのは、1945年にボストン・ヤンクスでラインバッカ―兼オフェンスのガードとして8試合に出場したエリス・ジョーンズ(2002年に80歳で死去)以来、73年ぶり2人目。ジョーンズは11歳の時に木から落下して重傷を負い、右肩の下20センチから腕を切断しながらフットボール選手として活躍した。
さてシャキームはどうなるのだろう?ただどんな未来であっても彼は受け入れるはずだ。「ない」ものが生み出した人間力。走力や腕力より、むしろそれが彼の“武器”であると私は思う。(専門委員)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に7年連続で出場。
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