下積み10年 32歳でNBAデビューを果たしたアンドレ・イングラムが教えてくれたこと

[ 2018年4月13日 10:30 ]

32歳でNBAデビューを果たしたレイカーズのA・イングラム(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】2002年公開の映画「オールド・ルーキー(主演デニス・クエイド)」は、35歳という大リーグ史上最年長でメジャー・デビューを果たした実在の人物、ジム・モリス(元レイズ)を描いた作品だった。ただし彼は一度引退し、高校教師という人生を歩みながらメジャーに再挑戦したのでマイナーリーグという下積み生活が長かったわけではない。そこがNBAレイカーズのアンドレ・イングラムとは違う部分だ。

 4月9日、レイカーズのマジック・ジョンソン社長(58)は傘下のGリーグ、サウスベイ・レイカーズでプレーしていたイングラムと10日間を締結。レギュラーシーズンは残り2試合しかなかったが、故障者続出で選手の数が不足していたためにイングラムを昇格させた。

 「父親としての役目に専念することも考えたよ。だけどプレーは続けたかった。思い出というのはいいものと悪いものがあるとけれど、自分は“あのときこうしておけばよかった”という思い出は作りたくはなかった」。

 ワシントンDCにあるアメリカン大出身のイングラムは2007年のNBAドラフトでは指名されなかった。その一方でNBAの当時のマイナー組織「Dリーグ(ディベロップメント・リーグ)」のドラフトでは7巡目に指名を受ける。「いつかNBAに行きたい」。そう思った彼はマイナーからプロ人生を始めた。しかしそこそこの好成績を収めながら、なかなかNBAからはお呼びがかからない。それはDリーグが名称をGリーグ(ゲータレード・リーグ=現在26チームが所属)に変更した2017年になっても同じだった。

 いつしか3点シュートの成功本数はマイナーリーグでは歴代最多(713本)になっていた。2016年にオーストラリアのチームに在籍したがNBAへの夢は断ち切れず、また米国にUターン。髪の毛には白いものが目立ち始め、オフの間は数学の臨時講師をしながら家計を支え、経理が苦手な若手選手の手助けもした。

 1985年11月19日生まれで1メートル91、86キロ。年齢だけでなく、層の厚いNBAのガードとしてはスリムで、フィジカル的に目立つ存在ではなかったことがメジャー昇格を阻んだ要因かもしれない。しかし来る日も来る日もマイナー選手というレッテルを貼られ続けてきた彼についに吉報が届いた。

 4月10日。満員の1万8997人を集めたレイカーズの本拠地、ステイプルズセンター(ロサンゼルス)にイングラムは背番号20のユニフォームを身につけてコートに立った。

 「試合前から体に電気が走った。夢のようだった。ものすごい雰囲気で、すべてが驚きだった。デビュー戦は人生に一度。なんて素晴らしいんだ」。

 マイナーで10年、計384試合に出場したイングラムに巡ってきた32歳5カ月でのメジャー・デビュー戦。その苦難の“人生物語”はファンもチームメートも対戦相手だったロケッツの選手の間にも知れわたることになり、イングラムはこの試合の主役となった。

 得意の3点シュートは5本中4本成功。今季のGリーグでは平均9・1得点だったが、ジョンソン社長が評価した高い成功率(47・5%)はNBAでも期待を裏切らなかった。バージニア州にいた妻と2人の娘を呼び寄せた試合でイングラムは29分出場して19得点をマークし、3リバウンド、3ブロックショットも記録するなど好守両面で活躍。試合は5点差で敗れたが、今季リーグ全体で首位となったロケッツを最後まで苦しめた。

 お世辞にもきれいなシューティング・フォームとは言えないが、イングラムはやっと巡ってきたNBA初戦を全力で頑張った。ベンチにいたレイカーズの選手たちはシュートが決まるたびに飛び上がって喜んだ。それに呼応するかのように地元ファンは嵐のような拍手を送り始め、なんと“MVPコール”まで沸き起こった。

 試合が終わるとリーグ屈指のガードの1人、ロケッツのクリス・ポール(32)がイングラムに駆け寄っている。同じ1985年生まれ。百戦錬磨のポールはこの日がNBAのレギュラーシーズンで892試合目だったが「君の話は聞いた。リスペクトするよ、と伝えたんだ。信じられない努力だ」と891試合少ない“同期生”のメジャーデビューを祝福した。

 スポーツが持つ力。たぶんそれは才能がもたらすスーパープレーや、故障から立ち直る不屈の精神に対する感動だけではないと思う。地味で目立たずファンの間で忘れられた存在であっても、“あのときこうしておけばよかった”という思い出を絶対に作ろうとしない姿は時として予期せぬヒーローを世に送りだす。

 4月11日。イングラムは今季最終戦(対クリッパーズ)でも35分出場して5得点と6アシストをマークした。しかし故障者が復帰し、戦力が再編成される来季の開幕までチームにいられるかと言えばその答えが「YES」でないことは本人もよくわかっているだろう。

 生きていれば誰だって投げかけられる「簡単にあきらめるなよ」という言葉。しかしそれを10年間、耐え忍んだあとに行動に移せるか?移せたか?と問われれば、私とて自信がない。

 「LIFE IS BEAUTIFUL」。そういえばそんなタイトルの映画があった。でも、もうひとつ別の作品が出来上がるような気もしている。レイカーズの背番号20が教えてくれた人生の歩み方。マイナー384試合の先にあったメジャーの2試合にファンや選手同様、私も拍手を送りたい。(専門委員)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市小倉北区出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に7年連続で出場。 

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