関根 3位でMGC切符“満持して”初マラソンが日本人トップ

[ 2018年3月12日 05:30 ]

名古屋ウィメンズマラソン ( 2018年3月11日 )

2時間23分7秒で日本勢トップの3位でゴールする関根花観
Photo By 共同

 16年リオデジャネイロ五輪1万メートル代表の関根花観(はなみ、22=日本郵政グループ)が、初マラソン日本女子歴代4位の2時間23分7秒を出し、日本人最上位の3位に入った。4位の岩出玲亜(23=ドーム)、5位の野上恵子(32=十八銀行)までの3人が、2020年東京五輪代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権をつかんだ。メスケレム・アセファ(32=エチオピア)が2時間21分45秒で初優勝した。

 根っからのマラソン志望だから踏ん張れた。25キロでペースメーカーが離れ、27キロすぎで動いたレース。海外勢2人が抜けて単独走を強いられても、関根は最後まで5キロ17分前後のペースを守った。

 「ラスト10キロから何度も心が折れそうになったけど、自分で奮い立たせることができて良かったと思います」

 日本人最上位の3位。2時間23分7秒は初マラソンの日本歴代4位だ。「日本人1〜3位は2時間28分以内」を満たし、「MGC」の権利を獲得。大阪国際の松田に続き、また22歳の新星が現れた。

 42・195キロを走ることは、陸上を始めた中学からの夢。その準備を1人で黙々としてきた。高卒で入社した当初から休日でも30キロ前後を走った。有森裕子、高橋尚子の指導に関わった高橋昌彦監督が驚かされたのは、2年前の成人式。「午前6時からの着付けで、3時に起きて1時間半走っていました」。妥協を許さず、ケガ知らず。観戦した母・美咲さん(54)は「中学までヒップホップダンス。体が凄く柔らかいのが故障防止になっているかも」と語った。豊富な練習量で、リオ五輪1万メートル代表にもなった。

 東日本大震災発生から7年を迎えた。11年4月に宮城・仙台育英高へ入学。東京から移り住み、清野純一監督の退任に伴い、愛知・豊川高へ転校するまでの約1年間を震災直後の地域で生活した。「校舎がプレハブで、信号が復旧していない光景が心に響いた」と3・11の快走で新しい一歩を踏み出した。

 今後は「海外も経験して、もっと強くなれたら」と目を輝かせる。今季は低迷したが、念願の距離に挑戦できるようになった途端「前の自分に戻っている」と輝きを取り戻した“マラソンの申し子”。花観(はなみ)の目には、東京五輪で満開となるストーリーが見えている。

 【関根 花観(せきね・はなみ)】

 ☆生まれとサイズ 1996年(平8)2月26日、東京都出身の22歳。1メートル56、45キロ。

 ☆名前の由来 「花(華)があり、物事の本質を見抜いて行動する子になってほしい」という願いから。父・一成さん(54)、母・美咲さん(54)。

 ☆走るきっかけ 小学校時に800メートル走で1位になり、中学から陸上を決意。アテネ五輪金メダルの野口みずきが最初の憧れ。

 ☆運動はお任せ 幼稚園から中学3年までヒップホップダンスを習う。ソフトテニスに取り組んだことも。

 ☆東日本大震災 都内に住んでいた中学3年で経験。宮城・仙台育英高の入学式は1カ月遅れた。

 ☆光る実績 転校先の愛知・豊川高で全国高校駅伝V。16年日本選手権女子1万メートル2位。リオ五輪1万メートル20位。

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