柔道・鈴木桂治氏 ケガも重圧も乗り越えた宮原選手のガッツポーズに共感

[ 2018年2月24日 11:30 ]

平昌冬季五輪フィギュアスケート女子フリー ( 2018年2月23日 )

女子フリー、演技を終えガッツポーズをする宮原(撮影・小海途 良幹)
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 【メダリストは見た】感動しました。宮原さんが滑り終えた直後に出した力強いガッツポーズ。あれが全てを物語っているように思います。自信を持って自分のスケートを出し切って、自然と喜びがあふれていました。私も04年のアテネ五輪の決勝に勝った直後、思わずガッツポーズが出たので、気持ちは凄く理解できるんです。メダルには届きませんでしたが、充足感でいっぱいではないでしょうか。

 浅田真央さんという偉大なスケーターが引退し、第一人者として日本の女子フィギュア界を引っ張っていく責任も背負っていたと思います。私は現役時代、井上康生(現全日本男子監督)を倒すことだけを考えてやってきました。2008年に井上監督が引退した時、心にポッカリと穴があいたものです。それでも日本を背負って立たなければいけないという自覚が、再び奮い立たせてくれました。

 柔道は日本のお家芸であり、五輪では金メダル以外は許さないという覚悟があったからだと思います。特に重量級は柔道の華。私も恩師の斉藤(仁)先生(故人。元全日本男子監督)に「重量級が柔道の華だぞ。強くないと面白くないぞ」と口酸っぱく言われたものです。女子フィギュアも冬季五輪の華ですし、国内で絶大な人気がありますよね。宮原選手の演技、そういうプレッシャーも乗り越えた、本当に素晴らしいものでした。

 対戦競技の柔道と違い、フィギュアスケートは自分の持っている表現力や技をいかに出し切るかのスポーツ。自分自身の精神状態や体の状態がそのまま結果として出てしまいます。イケイケの時は何をしても怖くないし、何をしても成功できるという感覚があると思うんです。でも、そこまでの精神状態に至るまでには、何百、何千回という反復練習の裏付けがあってこそです。そういう部分では、柔道で一つの技を習得する過程も似たものがあると感じました。

 宮原さんはケガを乗り越えての五輪だったと聞きました。柔道にもケガはつき物。私も何度も経験しました。特に思い出されるのは2004年の全日本選抜体重別選手権です。100キロ級でアテネ五輪を目指していましたが、試合3日前に左手中指じん帯を痛めました。大会では優勝はおろか、決勝にすら進めず敗退。アテネへの道は厳しくなりました。

 幸い、最重量級には4月29日に五輪最終選考会となる全日本選手権が残されていました。選抜体重別後の1週間、私は柔道着を全く着ない日々を過ごしました。まともに相手と組むこともできない状態だったため、とにかく中指を治すことが最優先でした。裏を返せば、ケガ前までに積み重ねてきた稽古に自信があったからこそ、ケガさえ治せば、という気持ちでした。全日本選手権では当日に痛み止めを飲みましたが、決勝で井上監督を倒し、100キロ超級で五輪切符をつかみました。

 男子の羽生選手も昨年11月に大きなケガをして、氷上練習を再開したのは五輪直前だったそうですね。きっと焦りや不安はあったと思いますが、「ケガさえ治せば」という気持ちだったのではないでしょうか。

 ◆鈴木 桂治(すずき・けいじ)1980年(昭55)6月3日、茨城県生まれの37歳。03年世界選手権の無差別級で初出場初優勝。04年アテネ五輪100キロ超級金。選手団主将を務めた08年北京五輪は100キロ級出場も敗者復活戦敗退。全日本選手権4度制覇。12年7月引退。1メートル84。現在は全日本男子重量級コーチ、国士舘大監督。

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