野球・杉浦正則氏 歩夢はやはり日本の「エース」精神力並大抵でない

[ 2018年2月15日 11:00 ]

平昌冬季五輪 スノーボード男子ハープパイプ決勝 ( 2018年2月14日 )

<平昌冬季五輪・スノーボード男子ハーフパイプ決勝>銀メダルを獲得し、日の丸を背負い笑顔の平野歩夢
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 【メダリストは見た】本当に凄かったですね。Xゲームを見たことはありますが、ちゃんとスノーボード競技を見たのは初めてでした。平野選手は1回目に失敗しても2回目に決めてくるところがさすがだなと思いました。

 銀メダルという結果で、表情を見ても悔しさの残る大会だったと思いますが、戸塚選手、片山選手が転倒してしまった嫌な流れを断ち切った。野球ではないですが、やはり日本の「エース」だなと思います。野球は「間」のあるスポーツなので、切り替える時間があります。失敗しても誰かがカバーしてくれることもあります。平野選手のように短時間で切り替え、結果を出す精神的な強さは並大抵のものではないと感じました。

 私も2度目の五輪は銀メダルでした。初めて出た92年バルセロナ五輪は銅メダルで、「キューバを倒して金メダル」という目標で臨んだ96年アトランタ五輪では、キューバとの決勝で敗れました。先発して序盤に失点しましたけど、力は出しきれたので満足のいく銀でした。アマチュアで戦った当時はプロ入りをアピールしようという選手もいたんですが、最終的にはドラフト1、2位候補のみんなが「勝ちたい」という思いで一つにまとまった。だから、負けたけどウイニングランをしたんです。最高の思い出です。

 五輪の重圧を感じたのはバルセロナ五輪の出場権を懸けた予選です。初戦でオーストラリアに負けて後がなくなりました。五輪を逃したら開催地の中国から日本に帰れないと思い、眠れなくなりました。「このまま中国で生活しなきゃ」と本気で考えましたが、あとで聞いたらみんな同じことを考えていたみたいです。「勝って当たり前」のプレッシャーがのしかかりました。平野選手も金メダル候補と言われ「メダルを獲って当たり前」という立場でしたが、焦っている様子がなかったのが素晴らしいと思いました。

 ライバルの存在も大きいでしょう。私はキューバ選手という存在があったから、自分を高められたと思います。平野選手とショーン・ホワイト選手もライバルとしてお互い成長できるのだと思います。ホワイト選手があれだけ喜ぶのは、やっぱり平野選手の存在があったからでしょうね。ホワイト選手はプロとして年収8億円以上を稼いでいると聞きました。それでもあれだけ五輪で熱くなるのは、4年に一度という大会の重さでしょう。私も「もしプロ野球に行っていたら?」という質問をよくされるんですが、実は考えたことないんです。プロよりも「五輪で金メダル」という思いが強かったです。

 20年東京五輪では野球が復活しますが、そういう意味では野球界全体で動けるといいなと思います。私は社会人日本代表のコーチをしていますが、アマチュアからも五輪選手を選ぶ形をつくってほしい。プロでもアマでも五輪は熱くなるというのを今回再認識しました。もう一つ印象的だったのは、点数が出てから誰一人不満そうな顔をしなかったことです。審判をリスペクトする気持ちは見習わないといけないなと感じました。

 ◆杉浦 正則(すぎうら・まさのり)1968年(昭43)5月23日、和歌山県生まれの49歳。橋本高―同大を経て、91年に日本生命入社。五輪に3度出場し、92年バルセロナ大会で銅メダル、96年アトランタ大会で銀メダルを獲得。00年シドニー大会は日本選手団主将を務めた。00年現役引退。現在は侍ジャパン社会人代表投手コーチ。

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