だから美帆は伸びた 恩師が語る天才少女 常に考え、常に行動に移す

[ 2018年2月13日 08:20 ]

平昌冬季五輪 スピードスケート女子1500メートル ( 2018年2月12日 )

本紙に手記を寄せた帯広南商高時代の東出氏(右) 
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 初の夢舞台を終えた2010年春。高木は学業でも進学校を狙えるレベルにありながら、スケートを優先して2歳上の姉・菜那が通う帯広南商に進学した。在学中にコーチを務めた東出俊一元監督(61)が強さの裏側を本紙に寄せた手記で明かした。

 天才肌。そう言っても間違いはないと思うけど、簡単にそこでくくれない。それが美帆だと思う。

 凄い子が(学校に)来ると聞いてやっぱりプレッシャーはあった。日本スケート連盟の橋本聖子会長が「先生、高木さんは日本の宝ですからよろしくお願いします」と。びびった。でも、本人はひょうひょうとして、大会でもひょうひょうと結果を残した。取り越し苦労で、安心した。スランプに陥ったとか、宝をゴミにしたと言われたらどうしようかとも思ったけど、1年間で完全にペースはつかんでいた。

 性格も抜群に良くて勉強もできる。気づいたことはメモをして、私が言ったことも「ちょっといいですか」と言って、バッグから手帳を出して“メモ魔”のように書き残していた。

 高校1年で出た全日本距離別選手権で初めてW杯の出場権を獲ったんだけどジュニアのレースも出るから日程がタイトになり、連盟から「体力が持たなくて体壊れても困るからスキップさせてくれ」と言われた。そう思ったし、本人に「そんなにレース出たら大変だから、海外から戻ったら時差ボケ中は国内のレースは休んだらいいんじゃない?」と言った。だが、「全部出る」と聞かなかった。当時は理解できなかったけど「今からタフにならないと後に生きない」と言っていた。高1の時は合計56レース。普通はその半数ぐらいだから驚異的な数字だった。

 いろいろな国へ行きたいとも言っていた。カザフスタンにも行ったことがないから行きたいと。子供だから言っているのかなと思ったけれど、そうではなかった。経験が将来に生きると分かっていた。行けばリンクの氷の質も、国の文化も、食事も、ホテルから会場の距離も、どんな施設かも分かる。メモにも残すし、見れば感覚にも残る。大事な試合がそこであればイメージができる。だからミーハーで行きたかったわけじゃなかった。私の想像を超えていた。

 考えたことを具現化できるし、常に考えて行動をしていた。そういう環境に置かれてこそ伸びると思う。いまのオランダ人コーチのヨハン・デビットさんはデータ重視。経験だけで指導するのではなくトレーニングで出た疲労度やパワー、心肺機能などの数値を見てオランダの一流選手と比較していると聞いた。栄養面もきちんと管理しているようだし能力を引き出すには最良のコーチだと思う。まだ23歳。能力を信じて、これからも駆け抜けてほしい。

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2018年2月13日のニュース