心身共に過渡期にある「藤田慶和2.0」の行く末に期待

[ 2018年1月31日 11:00 ]

突破を図るパナソニック・藤田(中央)
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 一つ一つの言葉が、地に足が付いている様子をうかがわせた。ラグビー日本選手権決勝前日の1月12日、パナソニックの15番で先発したFB藤田慶和を取材した際の印象だ。

 「優勝を気にせず、1年間積み上げてきたものを表現したい」「誰よりも楽しみたい」

 一見すれば覇気がないように感じられるが、決してそうではなかった。自分を必要以上に大きく見せず、足下を見つめるように、心の奥底から湧き出る本音を語る。少なくとも以前の彼は、そういうタイプの人間ではなかったと思う。

 東福岡高では花園3連覇の中心選手として活躍し、早大に入学したての2012年5月には、18歳7カ月の日本代表歴代最年少キャップも獲得した。膝のケガなどもあったが、その後も代表に定着し、15年W杯でもチーム最年少選手としてメンバー入り。1次リーグ最終戦の米国戦では、WTBで先発して1トライも記録した。

 自戒の念を込めて告白すれば、当時は原稿を執筆する上で“困ったら藤田”という気持ちが確かにあった。「歴代最年少」という肩書き、彼自身のリップサービスの良さもあり、代表や大学での練習後には事あるごとに囲ませてもらった。そうしたメディアの思惑を嫌気してか、当時のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチは、試合前日の藤田を含む若手選手の取材対応をNGにしていたほどだ。

 前回W杯から2年以上が経過し、置かれた立場も大きく変わった。16年のリオデジャネイロ五輪は最終段階で代表から落選。同年秋には日本代表の候補合宿には招集されたが、肩の不具合もありスコッドに名を連ねることはなかった。昨秋には追加招集されてテストマッチ2試合に出場したものの、現時点で19年W杯代表入りへの登竜門と言えるサンウルブズには招集されていない。2大会連続のW杯出場は視界不良と言えるが、そうした現状ですら「先を見過ぎていた。トップリーグに出られていないのに、W杯や五輪が目標と言っていた。今の自分にフォーカスできてなかった」と、24歳になった藤田は語った。昨年10月、日本代表と対戦した世界選抜チームの一員に選ばれ、多くの外国人選手と1週間寝食を共にした中で、「人生を楽しめてなかった。マインドが変わった」ことが心境の変化につながったという。

 15年W杯まで最短ルートで駆け上がったまでの4年間と比較すれば、今は紆余(うよ)曲折の真っ只中にいるかも知れないが、それもまた人生。心身共に過渡期にある「藤田慶和2.0」の行く末に期待している。(阿部 令)

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2018年1月31日のニュース