栃ノ心涙の初V 30歳長かった〜新入幕から58場所目の歓喜

[ 2018年1月28日 05:30 ]

大相撲初場所14日目 ( 2018年1月27日    東京・両国国技館 )

春日野親方(左)、碧山(右)らに祝福され、笑顔で鯛を持ち上げる栃ノ心(中央)
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 栃ノ心が松鳳山を下し、千秋楽を待たずに初優勝。春日野部屋に46年ぶりの賜杯をもたらした。平幕Vは12年夏場所の旭天鵬以来で、新入幕から58場所目の初Vは年6場所制で貴闘力と並ぶ史上4位のスロー記録となった。1981年秋場所の琴風(現尾車親方)以来となる、幕内から幕下に転落してからの復活優勝に、歓喜の涙を流した。

 勝ち名乗りを受ける姿は侍だった。ジョージアから来日し12年あまり。栃ノ心が右膝の大ケガを乗り越えて初優勝。喜ぶ前に、寄り切った松鳳山にそっと手を伸ばした。

 「(勝った瞬間は)やった、と思ったけど、それを抑えた。あまり涙は見せたくない。そう教えられてきた。相手に対して(失礼)というのもある」。相撲道から得たことを実践。見事だった。

 感情を出したのはインタビュールームに入ってからだ。「うれしい」と涙を拭く。支度部屋では一転、笑顔の花が咲いた。「人生で忘れられない日。今日が相撲人生で、一番うれしい。最高。こういう日が来るとは思わなかった」

 苦難から多くを学んだ。11年10月、師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)から門限破りなどを理由に体罰を受け、問題化した。13年には名古屋場所で右膝の前十字じん帯と側副じん帯を断裂。腫れが引くまで1カ月近くかかり、体重が約20キロ増加。ところが手術し2カ月入院すると30キロ減り、足に力が入らなくなった。慢性的に痛かった右肘も手術。3場所連続全休を余儀なくされ、幕下下位まで転落した。「相撲を辞めようという気持ち?何度もあった」と振り返る。

 部屋の関取、栃煌山と碧山が稽古する姿を見て「もうこの2人とは、できない」と思った。ジョージアにいる父ザザさんも「戻ってきていいよ」と言ってくれた。しかし、両親の猛反対を振り切って角界入りしたときの決意を思い出した。「母は空港でも泣いていた」。引き下がるわけにはいかなかった。

 試行錯誤の復活ロード。稽古し過ぎると膝が腫れた。足腰を砂浜で鍛えたりと、工夫をこらした。取り口も変わった。「昔は下がってうっちゃりをしていた」。今では力任せの強引な相撲は減り上手を引く正攻法が増えた。精神面も、ケガした後に「強くなった」と自覚がある。

 母国には両親、妻子がいる。連日のように連絡を取り力をもらった。「向こうも盛り上がっているのでは。相撲をやってよかった」。言葉には実感がこもっていた。

 【栃ノ心 剛史(とちのしん・つよし)】
 ☆名前 本名レヴァニ・ゴルガゼ。しこ名は師匠、春日野親方が「日本の心をもってほしい」と名付けた。
 ☆生まれ 1987年10月13日。ジョージア共和国ムツヘタ市出身。
 ☆サイズ 1メートル92、177キロ。
 ☆得意 右四つ、寄り、つり。
 ☆格闘技好き 柔道、サンボを経験し05年にはサンボで欧州王者に。相撲では04年世界ジュニア選手権無差別級3位。
 ☆入門動機 05年に大阪府堺市で行われた世界相撲選手権の後に、日大相撲部で稽古して春日野部屋を紹介された。
 ☆3人目 ジョージア出身では黒海(12年引退)、臥牙丸に次ぐ3人目の関取。
 ☆初土俵 06年春場所。08年初場所は新十両で優勝し、同年夏場所で新入幕。
 ☆実績 最高位は関脇。三賞6回、金星2個。
 ☆資格 歯科技工士の資格をジョージアで取得済み。
 ☆好き 食べ物は肉。色は赤、白。
 ☆苦手 食べ物では生がき。相撲では白鵬に0勝25敗と一度も勝てていない。
 ☆家族 ジョージアにニノ夫人、長女アナスタシアちゃん、父ザザさん、母ヌヌさん、弟ラシャさん。父ザザさんは、ブドウ畑を持ちワイン製造を行う。銘柄は「サペラヴィ」。

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