【平昌で輝け】両角友佑 長野五輪敗退から20年…兄弟で新たな歴史つくる

[ 2018年1月27日 11:00 ]

長野五輪以来となる五輪出場を決めたカーリング男子日本代表(左から)両角公、両角友、山口
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 SC軽井沢クのスキップ・両角友佑は98年2月14日、4歳下の公佑とともに軽井沢の風越公園アリーナにいた。長野五輪のカーリング男子、準決勝進出を懸けたタイブレークの日本―米国戦。ルールは分からず、日本も敗れたが、場内の盛り上がりに圧倒されたことが記憶に残っている。「あの場所に立つのは、特別な思いがある。本番で力を出せるように頑張る」と司令塔は気合を入れた。

 長野五輪がきっかけとなり、中学2年でカーリングを始めた。最初は部活動で、その後は今も師事する長岡はと美コーチと立ち上げたチームで活動。そのチームは後にSC軽井沢クとなり、公佑ら現在の主力メンバーが07年にそろった。日本選手権は5連覇を含めて、8度制覇。14年ソチ五輪の出場は逃したが、16年世界選手権4位、17年同選手権7位で平昌切符を獲得した。日本男子では長野以来の夢舞台となる。

 ハウス(円)内にストーンをため、大量得点を狙う攻撃的なスタイル。ハイリスク、ハイリターンは望むところだ。「自分たちも相手も簡単なショットではダメ。自分たちも難しいけど、相手にも難しいショットを投げさせる。自分たちがうまいという前提ではなく、チャレンジしていくことが大事」。リードを務める弟の公佑が先陣を切り、友佑はスキップとして、エンドごとのラスト2投という重要な局面を担う。

 日本は世界ランク8位で平昌五輪の参加10カ国中、7番目。下克上でのメダル獲得へ、1次リーグ初戦を重要視している。世界ランク3位・ノルウェーとの試合が行われるのは、両角友が98年長野五輪を観戦し、日本が散った日から、ちょうど20年となる2月14日だ。「初戦が大事。勝ってスタートしたい」。絶妙ショットで、カーリング男子の歴史に新たな一ページを刻む。

 ◆両角 友佑(もろずみ・ゆうすけ)1985年(昭60)1月16日生まれの33歳。長野県出身。軽井沢中2年で本格的にカーリングを始め、司令塔のスキップを務めてきた。金沢大卒業後、NPO法人スポーツコミュニティー軽井沢クラブに勤務。16年世界選手権4位、17年の軽井沢国際選手権では初めてワールドツアーを制した。1メートル77、76キロ。

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