奥原、日本シングルス初の金!リオ準決勝で敗れたプルサラに雪辱

[ 2017年8月28日 05:30 ]

バドミントン世界選手権 女子シングルス決勝   奥原2―1プサルラ ( 2017年8月27日    英国・グラスゴー )

バドミントンの世界選手権女子シングルスで優勝し、日本勢で40年ぶりの金メダルを獲得した奥原希望
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 女子シングルス決勝で、リオ五輪銅メダルの奥原希望(22=日本ユニシス)は同五輪銀メダルのシンドゥ・プサルラ(22=インド)に2―1で競り勝ち、金メダルを獲得した。77年の第1回大会で女子ダブルスを制した栂野尾(とがのお)悦子、植野恵美子組以来、男女を通じて日本勢40年ぶり、シングルスでは初の金メダルとなった。

 奥原の誰よりも強い思いが通じた。「世界選手権のセンターコートで、五輪の借りを返したい」。そう心に誓って臨んだ初めての決勝の舞台。奥原は1年前のリオ五輪準決勝でストレート負けを喫したプサルラとの1時間50分の死闘を制した。勝利者インタビューでは目を真っ赤に腫らして「Happy」と叫んだ後、「I am very tired(とても疲れた)」と本音が漏れた。

 第1ゲーム序盤は1メートル79のプサルラの強打に苦しめられた。8連続失点するなど厳しいスタートだったが、1メートル57の小さな体でしぶとく球を拾って立て直した。次々と相手のミスを誘い、11―14から7連続得点。一気に逆転して押し切った。

 第2ゲームも粘りを見せた。17―20から3度のゲームポイントをしのいだ。最後は長いラリーをものにできず最終ゲームへもつれ込んだが、気落ちすることはなかった。一進一退の攻防が続き、17―19のピンチから踏ん張って3連続得点。つりそうな足を何度もストレッチしながら戦い、最後は2度目のチャンピオンシップポイントをものにした。

 銅メダルだったリオ五輪後、右肩を痛めた。昨年12月の全日本選手権では途中棄権。「20年東京五輪へのスタート」と位置付けた大会の出足でつまずき、悔し涙をこぼした。1カ月以上バドミントンができなかった。だが、この長期離脱も肩の可動域を広げたりフットワークに磨きをかけたりと肉体改造の好機と捉えた。「全部リセットされた」。体もプレーもゼロからつくり直してきた。

 そんな状況のため、今大会前は「約1年、世界の選手と厳しい戦いをしていない。今の立ち位置を確認したい」と語るにとどめた。自分自身に過度な期待をしていなかった。

 大会を勝ち進む中で、自信を取り戻していった。準々決勝ではリオ五輪金メダルのマリン(スペイン)との1時間33分の熱戦を制し、準決勝では過去1勝6敗のネワル(インド)にも逆転勝ちした。そして迎えた決勝の舞台だった。

 逆境をばねに成長を続ける日本のエース。日本勢のシングルスでは初めて昨年のリオ五輪で3位となったのに続いて、今度は世界選手権で初の金メダル獲得だ。日本バドミントン界では全種目を通じても40年ぶりの世界タイトル。東京五輪の「金」に期待が膨らむ快挙達成だった。

 ◆奥原 希望(おくはら・のぞみ)1995年(平7)3月13日、長野県生まれ。大宮東高卒。日本ユニシス所属。7歳で競技を始める。高2で11年全日本選手権優勝。16年全英オープン優勝。17年リオ五輪3位。1メートル57、52キロ。右利き。

 ▽奥原のリオ五輪VTR 世界ランク6位の奥原は準々決勝で同12位の山口茜と対戦し、第1ゲームを11―21で落としたが、第2ゲーム以降は長いラリーに持ち込んでペースをつかみ、逆転勝ちした。準決勝は同10位のプサルラ(インド)の強打に苦しめられた。準々決勝で発揮した持ち味の粘り強さは見られず、19―21、10―21のストレートで完敗。3位決定戦は李(リ)雪?(セツゼイ)がケガで棄権したため、不戦勝で銅メダル獲得が決まった。「目標だったメダルに届いたが、素直には喜べない。自分らしく終わりたかった」と涙した。

 ▽バドミントン第1回世界選手権 77年5月にスウェーデン・マルメで開催された。女子ダブルスの栂野尾悦子、植野恵美子組は決勝でオランダのバンビューセコム、リュースケン組を2―0(15―10、15―11)で下して初優勝。3月の全英オープンに続く2大タイトル獲得だった。女子シングルスでは湯木博恵が3位だった。

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