頭脳を生かし、頭脳を守る NFLから引退した2人の特別な理由とは?

[ 2017年7月30日 10:00 ]

高校で数学を教えるNFLレイブンズのアーシェル (AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】私は数学におけるスペクトル理論や数値線系代数を理解できない。正方行列の固有値に関する理論の無次元への拡張、科学技術計算のための数値計算法…。申しわけないが概略を説明することさえもここで断念したい。(すでに脳が拒否反応を示している)。

 NFLレイブンズで3シーズン、オフェンスラインのガードとセンターとしてプレーしてきたジョン・アッシャー(26)はペン州立大時代、この学問で学士と修士の学位を取得。しかも2014年のドラフト5巡目で指名を受けてからも勉学は続けていた。

 そして、このほど世界屈指の理系大学、MITことマサチューセッツ工科大で数学の博士号を取得するため、高収入を得られるNFLでの現役生活を断念。引退する選手は何かしら無念な思いを抱くものだが、アーシェルは「難しい決断だったけれど、MITで勉強に専念できるのだから、わくわくするよ」と前向きだった。

 書き上げた研究論文は専門誌に掲載され、母校ペン州立大でも講義を受け持つほどの理系プレーヤー。北米4大スポーツに在籍した選手の中では歴史的に見ても突出した頭脳な持ち主だけに、第二の人生は充実したものになるだろう。

 2016年のスーパーボウルにブロンコスのセーフティーとして出場したデビッド・ブルートン(30)も8年間の現役生活に別れを告げた。

 理由は脳振とうを複数回引き起こしているから。NFLでは記憶障害やうつ病、認知症などを引き起こす慢性外傷性脳症(CTE)が問題視されており、死後に脳を研究のために提供した111人の元選手のうち110人にCTEの顕著な兆候が認められて社会的な注目を集めた。

 NFLは昨年になってようやくCTEと競技との因果関係を認めたが、発症を防ぐための具体的方策についてはまだ明示されていない。ハードなコンタクトはNFLでは不可避であり、それを認めないならばビジネスとして成り立たない一面もあるからなのだろう。

 だから選手はある意味、“自衛”するしかない。すでに脳振とうを経験しているブルートンは「賢明な判断だと信じたい。年齢を重ねても脳の働きをしっかり保ちたいから」とリスクを取らない人生を選択。今後は理学療法士になるための勉強をする意思を固めている。

 昨季のスーパーボウルでMVPとなったペイトリオッツのQBトム・ブレイディーは、8月3日で40歳になる。スティーラーズを支えてきたQBベン・ロスリスバーガーもすでに35歳。若くして引退を選択する選手がいれば、年輪を重ねてもなおフィールドに立ち続けるベテランもいる。

 人生の選択。どれが正解なのかは誰もわからない。自分は今、何をしてどこに進むべきなのか…。すでにキャンプに突入したNFLでは、多くの選手が心の中にそれを考えるスペースを確保していると思う。 (専門委員)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、佐賀県嬉野町生まれ。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に6年連続で出場。

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