白鵬に国民栄誉賞浮上、記録ずくめ39度目賜杯に「サンキュー」

[ 2017年7月24日 05:30 ]

大相撲名古屋場所千秋楽 ( 2017年7月23日    愛知県体育館 )

歴代最多の39度目の優勝を果たし、賜杯を受け取る横綱白鵬
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 横綱・白鵬(32=宮城野部屋)が史上最多39度目の優勝を飾った。1分9秒に及んだ横綱・日馬富士(33=伊勢ケ浜部屋)との大相撲を寄り倒しで制し、夏場所に続いて2連覇を達成。12日目に元大関・魁皇(浅香山親方)の持つ史上最多1047勝に肩を並べて13日目に単独1位に立つと、勢いに乗って賜杯を抱いた。

 数々の記録を塗り替えてきた横綱でなければ、こんなシャレが利いたセリフも出てこないだろう。「名古屋の皆さん、サンキュー」。39度目の賜杯とファンへの感謝を掛け合わせた優勝インタビューでのメッセージ。照れた顔の白鵬は会場が笑いに包まれたのを確認すると、満足感に酔いしれた。

 負ければ碧山との決定戦に突入する日馬富士との一番。慎重に右で張って、左へずれる立ち合いから右四つに組み止め、動きが止まる。両まわしの引きつけ合いから、体勢を入れ替え、相手に覆いかぶさりながら土俵下へ倒れ込んだ。長期戦となった一番に大粒の汗が額に浮かぶ。「大満足です」と目尻を下げた。

 この日は弟弟子の炎鵬が序二段優勝。「横綱も毎日研究されて、勝ちにこだわる。僕も動画を見て研究しました」と語った。若手に対し「基本的なことを手を抜かずやっている」と背中で見せてきた。稽古場には連日100人以上が見学に来る。「せっかくだから、お土産を持って帰ってもらいたい」。ファンが求めるサインに必ず対応し、ファンが持参した弁当を境内で一緒に食べた日もある。小さな気配りが声援で返ってくる。だからこそ言えた「サンキュー」の言葉だった。

 名古屋場所といえば07年に横綱に昇進。1年前の勢戦では右足親指を骨折して翌場所、全休に追い込まれた。1958年の第1回名古屋場所を最初に制した初代・若乃花が26年前にモンゴルを訪れた際には、モンゴル相撲で活躍した父ムンフバト氏と対談。6歳だった白鵬少年は駄菓子のうまい棒をもらっている。縁の深い土地での歓喜。「1047勝もありましたけど、同じ横綱として千代の富士の1045勝を目指して両方達成して幸せだなと思います」。

 最多勝更新。優勝40回の大台にも王手をかけた。横綱在位もあと3場所で歴代1位の北の湖に並ぶ。この偉業に国民栄誉賞の可能性も浮上。政府に近い関係者は「当然、検討することになる」と語った。今なお圧倒的な強さを誇っており「引退されてからになるとは思いますが」とも付け加えたが、国民に希望を与える実績を積み重ねてきた。誰も歩んだことのない道を突き進む大横綱は「幕内1000勝を目指して頑張りたいと思います」と力強く宣言した。

 ▽国民栄誉賞 規程によれば「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえることが目的」で内閣総理大臣が表彰する。国籍に関する規程はない。第1号は77年に本塁打世界記録を樹立したプロ野球の王貞治で、角界では89年の千代の富士、13年の納谷幸喜氏(元大鵬)がいる。

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