宮里藍 弱みを全て受け止めた心の強さ

[ 2017年6月8日 10:00 ]

宮里藍
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 【福永稔彦のアンプレアブル】本当に強い人だ。5月29日の記者会見で今季限りでの引退を表明した宮里藍(31=サントリー)の言葉を聞いていて、そう思った。

 引退の理由について宮里は「モチベーションの維持が難しくなった」と説明した。2009年に初優勝して以降、毎年勝利を重ねて10年には年間5勝を挙げて、世界ランキング1位になった。12年にも2勝した。メジャー初制覇へ周囲の期待は高まっていた。だが本人の中には違った思いがあった。

 「世界ナンバー1になったり、自分の中でもプロゴルファーとしてピークを迎えているという感覚があった。それなのにメジャータイトルが取れないという葛藤があった。次はどこにモチベーションを置いて、どういうふうに立ち直していけばいいんだろうと悩んだ」。引退を考えるようになったのはその頃だ。

 それでもすぐ辞めず5年もプレーし続けたのはなぜか。宮里はこう話した。「その(悩んでいる)最中にパターがイップスみたいになった。パターが得意だったので、どうしても、ここは乗り越えて終わりたいなという気持ちになった。そこが(現役を続ける)きっかけというのもある」。

 年間5勝した10年はパーオン時の平均パットが1・73で1位だったが、14年には1・88で138位に低迷していた。かつての武器が足を引っ張る形になっていた。

 モチベーションを失っている状態で技術的なスランプになったら気持ちが切れてしまうのが普通だろう。しかも自分のゴルフを支えてきたパットの不振ならなおさらだ。

 ところが宮里は違った。パットのイップスを克服するという新たな課題を背負ったことで、逆にツアーで戦い続ける意欲がわいたというのだ。

 世界で活躍できた要因を聞かれた時だ。宮里は「自分自身と向き合えたことじゃないかなと思う。ゴルフは必ずしも体格の差がハンデになるわけではない。自分自身をしっかりコントロールして、自分のゴルフを信じることで私はここまでできたと思う」と答えた。

 人間は弱い。目の前に壁があれば逃げ出したくなる。弱みを言い訳にしたくなる。うまくプレーできないことを天候やコンディションのせいにしたり、体格や道具のせいにしたりしたくなる。

 しかし宮里は全てを正面から受け止め、乗り越えることで成長してきたのだ。1メートル55の小柄な体で世界ランキング1位にまで上り詰めることができたのは、そういう姿勢があったからだ。本人にもその自負がある。

 6年間、米ツアーでともに戦い、プライベートでも仲の良い上田桃子(30=かんぽ生命)は「藍ちゃんは良くても悪くても変わらない」と話す。調子が良い時も悪い時も常に淡々とプレーし、他の選手、ファン、メディアには笑顔で接する。それが宮里藍流の強さなのだ。現役最後のシーズンがハッピーエンドになることを願ってやまない。 (専門委員)

 ◆福永 稔彦(ふくなが・としひこ)1965年、宮崎県生まれ。宮崎・日向高時代は野球部。立大卒。Jリーグが発足した92年から04年までサッカーを担当。一般スポーツデスクなどを経て、15年からゴルフ担当。ゴルフ歴は20年以上。1度だけ70台をマークしたことがある。

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