名実況だけでなく

[ 2017年5月14日 09:00 ]

元NHKアナウンサーの土門正夫さん
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 【我満晴朗のこう見えても新人類】支局勤務時の話。高校野球の地区大会をNHKの地元局がラジオで生中継していた。スコアブックを広げて聴いていたら、担当の男性アナウンサー、実況に慣れていないのか、ところどころで意味不明のコメントを繰り返す。

 「ピッチャー第1球投げた。(数秒無言)ボール。いやファウル。(数秒無言)失礼、空振りでした」なんてのはまだまし。「バッター打った。打球は大きくバウンドしてライトへ!」うん?バウンドしたのだからヒットなのか?「ライト2、3歩前進して構えた。捕って3アウトです」って、単なるライトフライじゃないか。どこからバウンドが出てきたんだ。「打った!ボールはレフト線に転がった!」おっ、長打コース。「三塁手が捕りましたがファウルです」かっくん。じゃあレフト線じゃなく三塁線と言ってくれ。

 途中でスコア記入を諦めた。思うに1、2年目の若手アナ。経験値が圧倒的に少ないのだから仕方ないか。

 50代ど真ん中を謳歌(おうか)している筆者にとってNHKのスポーツアナウンサーと言えば西田善夫さん、土門正夫さんが2トップ。特に土門さんはバレーボール担当の縁で、何かと気に掛けていただいた。

 初対面は1985年だったと記憶している。とある記者会見で隣に座っていたのが土門さんだった。今で言うならレジェンド。黒縁の眼鏡から貫禄がにじみ出ている。お高くとまっている人かもとドギマギしながら名刺交換。「おや、珍しいお名前ですね。そう言う私も人のことは言えませんが。あはははは」。どこの馬の骨とも分からない若造記者に対し、腰が抜けるくらいフレンドリーだった。

 以降、取材現場で見かけると必ずあいさつに行った。なにしろ64年東京五輪女子バレーボール決勝のラジオ実況担当。かつての栄華を肌身で覚えている重鎮なのだから、その一言一言がペーペー記者にとって貴重だった。もちろん最新のバレーボール事情にも十分通じていた。さりげない会話の中に、大スクープのヒントが隠されていたこともある。

 以降30年以上も年賀状を交換してきた。もちろん今年も直筆の丁寧なメッセージをいただいた。5月2日に87歳で亡くなったというニュースに触れ、あの実況での名調子とともに、柔らかく暖かい口調での雑談を思い出す。

 そんな土門さんも新人時代は粗相ばかりしていたのかもしれない。おそらく血を吐くような努力を経て日本を代表するスポーツアナとなったのだろう。サイドブレーキを引きながらアクセルを踏むようなぎくしゃく実況をしていた前述の彼も、2020年東京五輪では名実況の主と称えられるかもしれないと、勝手に期待している。 (専門委員)

 ◆我満 晴朗(がまん・はるお)1962年、東京都生まれ。ジョン・ボンジョビと同い年。64年東京五輪は全く記憶にない。スポニチでは運動部などで夏冬の五輪競技を中心に広く浅く取材し、現在は文化社会部でレジャー面などを担当。たまに将棋の王将戦にも出没し「何の専門ですか?」と尋ねられて答えに窮する。愛車はジオス・コンパクトプロとピナレロ・クアトロ。

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2017年5月14日のニュース