どんな美しい記念の晴着も…稀勢の里はもっと強くなれる

[ 2017年4月4日 10:45 ]

<大相撲春場所千秋楽>賜杯を手に記念撮影する稀勢の里
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 【鈴木誠治の我田引用】大相撲春場所で、新横綱の稀勢の里が劇的な優勝を果たした。13日目の初黒星で左上腕を負傷し、翌14日目も連敗。横綱の責任感が休場を拒ませたのだから、相撲をとれる状態ではないと、周囲は思った。

 ところが、左からは全く攻められない体で、千秋楽の大関・照ノ富士戦に勝って2敗で並び、優勝決定戦も連勝するという大逆転を遂げた。やっと誕生した日本出身横綱の晴れの場所。大きな注目の中でのドラマチックな結末だった。

 「すごいね。何か、もってるというかさ。横綱になって、精神的に強くなったのかな」

 地位が人をつくる…。そんな言葉を思いだしながら、女勝負師のスゥちゃんに話し掛けた。すると、返ってきたのは、こんな答えだった。

 「まだまだだね。本当に強い人は、けがしないからね」

 スゥちゃんによると、けがは隙があるからするもので、本当に強い人は、その隙すらないというのだ。でも、大関時代にあれだけ精神面の弱さを指摘されたんだから、それを思えば…と考えながら、ふと、この詩を思い出した。



 どんな美しい記念の晴着も

 どんな華やかなお祝いの花束も

 それだけではきみをおとなにはしてくれない



 谷川俊太郎氏の「成人の日に」という詩に出てくる一節だ。地位を得ただけでは、大人にはなれないと受け取れる。詩は次のように続く。



 他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ

 自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ

 でき上がったどんな権威にもしばられず

 流れ動く多数の意見にまどわされず



 スゥちゃんは、大関時代の稀勢の里は「やる気」にムラがあったと分析する。自分より強いとされる相手だとやる気が出るが、格下ではやる気が出ない。重圧の中、春場所初日から順調に重ねた12連勝は、自分は本当は強いんだと誇示する必要がない「横綱の地位」が、もたらしたのかもしれない。地位が人をつくった部分だろう。

 では、13日目に見せたのが隙だとしたら、原因は何だろう。相手を認め、横綱の名に縛られず、周りの意見に流されない。それが全て当てはまるわけではないだろうが、要するに、これから本物の横綱になっていくための、試練だったと考えることもできる。スゥちゃんは「だから、稀勢の里はもっともっと、強くなれると思うよ」とつけ加えた。

 確かに、稀勢の里は優勝翌日の会見で、こう話している。

 「もともとであれば、15日間、万全の状態で務め上げるのが使命というか。ああいう見苦しいテーピングとかをしなくてはいけない状態になってしまった自分が一番、悪いと思っている」

 谷川氏の詩は、こう続いている。



 とらわれぬ子どもの魂で

 いまあるものを組み直しつくりかえる

 それこそがおとなのはじまり

 永遠に終わらないおとなへの出発点



 完成された強さに与えられるのが横綱の地位ではなく、昇進は、さらに強くなるための出発点なのかもしれない。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、浜松市生まれ。貴ノ花、益荒雄と、過去に好きだった力士は横綱に届かなかった。2015年の新潟県五泉市の巡業で、息子と一緒に写真を撮っていただいた時の稀勢の里の笑顔は、最高でした。

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2017年4月4日のニュース