緑夢 “原点”スノボで再び世界へ「運命的」平昌パラで日本初代表

[ 2017年3月9日 10:40 ]

成田緑夢
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 平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピック(18年3月9〜18日)は9日で開幕まであと1年となった。スノーボードでトリノ五輪に出場した成田童夢と今井メロの弟、成田緑夢(ぐりむ、23=近畿医療専門学校)はパラ・スノーボードでメダルが期待されている。4年前の練習中の事故で、左足の膝から下に麻痺(まひ)が残る緑夢は障がいと向き合いながら初の大舞台を目指している。

 成田家の末っ子がスノーボードの世界に帰ってきた。かつて日本のトップ選手だった兄と姉はトリノ五輪後に引退。かさむ遠征費などの問題もあって、緑夢も12歳でスノボをやめた。その後はトランポリン、フリースタイルスキーのハーフパイプで夏と冬の五輪を目指していた。事故に遭ったのは19歳の時。13年4月、自宅のトランポリンで練習中にバランスを崩して落下し、左膝を完全脱臼、じん帯も筋肉もすべて切れた。医者には「切断の可能性もある。スポーツなんてもってのほか」と言われた。半年間入院し、4度手術。切断は免れたが、腓骨(ひこつ)神経麻痺で膝下の感覚を失った。

 リハビリを経て、以前から取り組んでいたウェイクボードの大会で優勝するとSNSに「僕も障がいがあるけれど頑張ろうと思う」「勇気をもらった」と多くの声が届いた。「障がいがある人や多くの人々に夢や感動、勇気や希望を与えるアスリートになりたい」。自身の夢が明確になった。

 昨秋、日本障害者スキー連盟に誘われ、約10年ぶりにスノーボードを再開した。前回のソチからパラリンピック競技に採用されており、日本は平昌に初めて代表を派遣する方針だ。緑夢は今季W杯で2度優勝するなど、すぐさま頭角を現した。「運命的ですね。過去にやっていた競技で日本で初めての代表を狙えるなんて、うれしいの一言です」。陸上・走り高跳びにも取り組む万能アスリート。原点のスノボで夢をかなえるチャンスが巡ってきた。

 ◆成田 緑夢(なりた・ぐりむ)1994年(平6)2月1日、大阪市生まれの23歳。上宮高卒。父・隆史さんが運営するスノボクラブ「夢くらぶ」で1歳でスノーボードを始める。トランポリンでは11年全日本選手権10位。フリースタイルスキー・ハーフパイプでは13年世界ジュニア優勝。パラ陸上の走り高跳び(下肢障がいT44)では16年世界ランク8位(1メートル75)。現在はトランポリン教室「Super トランポリン」を主宰。1メートル73、63キロ。

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