憎らしいほど強くて優しいおすもうさん

[ 2017年1月26日 09:00 ]

国技館からパレードに出発する稀勢の里と旗手の高安。「これからどうするんだ?」(稀勢の里)「手を上げるんです」(高安)なんて会話が聞こえてきそうです
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 【長久保豊の撮ってもいい?話】サインや握手を求める手は、若い夫婦のすがるような声に思わず引っ込んだ。

 「横綱、この子を」。

 差し出されたのは、ねんねこにくるまれ寝息を立てている赤ちゃん。だが誰もが夫婦の願いは叶えられないだろうと思った。何せ相手は無愛想の上に無表情の鎧を着た大横綱。「もっと気安い関取衆が目の前を通ったのに。よりによって」。中学生だった私もそのてんまつを見守る一人だった。

 ギロリと横綱がにらんだような気がした。「フン」と鼻を鳴らしたような気がした。だが、次の瞬間に横綱の両手が伸びた。そして夫婦の宝物を受け取ると優しく胸に抱いた。

 今なら、カメラだ、スマホだで大騒ぎするところ。わが子を抱く横綱の姿に夫婦は、わなわなしながら手を合わせた。

 「その子は立派に育つよ」。横綱から戻された子を抱く母親に初老の男性が声を掛ける。

 「おっぱいを飲んでくれなくて」。と涙声の母親が答える。

 「大丈夫よ。うちなんかねえ…」。今度は別の女性が話に加わる。下町ならではのおせっかいと紙一重の優しさ。子育て苦労話の輪が広がるのを背に横綱はのっしのっしと去って行った。

 「へえ〜、おすもうさんって優しいんだ」。これが私が40年前に抱いた感想だ。

 お行儀がよいとは言えないわがふるさと。リーゼントとポマードがザンバラ髪と鬢付け油にすれ違う街だった。同世代のやんちゃ盛り同士だがもめごとは起きなかった。「おすもうさんは強いんだ」と言われて育ったから彼らに対しては尊敬に近い感情もあった。それよりも自分の街に相撲部屋があるというのが誇らしい気分もあった。いたずらをすると「押し入れに入るか、相撲部屋に行くか」と親に言われたこともあったけど。

 第72代横綱・稀勢の里が誕生した。「稽古はウソをつかない」という亡き師匠の教えを信じての栄光だが、ここ一番、あと一番でこれほどウソをつかれた人もいない。それでも信じたから千秋楽、白鵬の右張り手からの突進を受け止めた下半身が出来上がった。

 あえて貫いた無口で無愛想、無表情のイメージはここ数日で崩れた。こんなに鮮やかに笑える人なのかと驚いた。優勝パレード出発時、車に乗り込んだまではよかったが「これからどうすればいいんだ?」と旗手の高安に聞いていたのはここだけの話。

 春三月にはこの鮮やかな笑顔も封印されてしまうのだろう。でもそれが師匠から教えられ、彼が信じる力士像なのだから当然だ。憎らしいほど強くなってほしい。でも優しいおすもうさんの一面も残してほしい。

 40年前のあの日、横綱・北の湖が赤ちゃんを抱いた。その手は本当に優しかった。(編集委員)

 ◆長久保 豊(ながくぼ・ゆたか)1962年生まれ。都立両国高校から帯広畜産大学卒。「相撲の強い高校だよね?」とよく言われるが相撲部はない。

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