NFLカウボーイズの新人QBプレスコットのドラマはクライマックスへ…

[ 2017年1月7日 09:00 ]

カウボーイズQBダク・プレスコット(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】昨年4月に行われたNFLのドラフト(7巡目まで)で指名されたのは4巡目。ダク・プレスコット(23)の前にすでに134人が指名されていた。ミシシッピ州立大の出身。全米王者になったわけではない。1メートル88とNFLのQBとしてはとりわけ大柄でもない。脚力も並。だから開幕前、カウボーイズのキャンプでは4番手扱いだった。

 それでも彼はうれしかったと言う。育ったのはルイジアナ州プリンストン。州が違うとは言え、カウボーイズの本拠地ダラス(テキサス州)までは300キロ。幼いころからカウボーイズのファンだった彼はあこがれだったチームのユニホームを着てベテランたちの輪の中に入った。

 しかしQBに故障者が続出。気がつけばプレスコット以外に“無傷”の司令塔がいなくなり、ついに開幕から先発で出場するはめになった。初戦は19―20でジャイアンツに惜敗。しかし「そうだよね。仕方ないよね。善戦はしたしね」と誰も彼を責めたりはしなかった。

 ところが第2戦からなんと11連勝。全体4番目指名だったRBイジキール・エリオット(21)とプレスコットの新人コンビがチームの中心となり、開幕前の予想は見事に覆された。そしてカウボーイズは13勝3敗でナショナル・カンファレンス(NFC)の第1シードでプレーオフに進出。プレスコットが先発した試合では13勝2敗という好成績だった。

 1996年1月28日。私はアリゾナ州テンピで開催された第30回スーパーボウルを取材した。スティーラーズを27―17で退けて通算5回目の優勝を遂げたのがカウボーイズだった。NFLを代表する名門チーム。「アメリカズ・チーム」とも呼ばれる米国の象徴的存在でもあった。

 しかしまさかそれが現時点に至るまで「最後の大舞台」になるとは思ってもいなかった。20年におよぶ長い長いブランク。それをあの優勝時に予期した人はいなかっただろう。

 DAKOTAの愛称がダク(DAK)。運送会社で働いて生計を立てていた母ペギーさんは厳しい人だったと言う。6歳だった彼は兄とのケンカで殴られて泣きながら母に助けを求めたが「泣いたままならここに来るんじゃない」と突き放された。

 以来、ダク少年は言い訳をしなくなった。自分の体を鍛えるのは当たり前だと思い始めた。ウエート・トレーニングで最後まで汗を流す1人になった。大学生になるとパソコンで相手のプレーを何度も研究し、気がつけば画面を見たまま5時間が経過していることもあった。ドラフトで評価が上がらなかった一因は、酒気帯び運転での逮捕歴があるというフィールド外での出来事だったとする関係者もいるが、カウボーイズ以外のチームのスカウトとフロントは、どんな環境にも自力で適応していくプレスコットの潜在能力を見抜けなかった。

 取材する側から言えば特定のチームを応援するケースは番記者以外にはほとんどない。ニュートラルでいるからこそ原稿というものは書けるからだ。しかし今回はちょっとだけ例外にさせていただく。

 経済的に恵まれない家庭に育ち、トレーラーハウスで母にしかられ、そして山ほどの偶然をかいくぐって平然と「米国の象徴」の中心にどかっと座った新人QB。プレスコットはあまり口にはしないが、4年前に自分の晴れ姿を見ることなく結腸がんで他界したペギーさんにきっと何かを届けたいはずだ。

 スーパーボウルの優勝オッズでは2・9倍のペイトリオッツに次いでカウボーイズは4倍。遅い指名の新人QBがこれほどまでにオッズを押し上げたケースは過去にはない。

 フィールドの中にも外にもドラマがあるプレスコットのNFL1年目。もしスーパーボウルで優勝したら、ペギーさんに成り代わって私が泣くことにする。(専門委員)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、佐賀県嬉野町生まれ。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に6年連続で出場。

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