NBA名物インタビュアー C・セイガー氏が死去 各地で追悼セレモニー

[ 2016年12月16日 15:01 ]

急性白血病で亡くなったクレイグ・セイガー氏(AP)
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 NBAで四半世紀にわたって選手や監督のインタビュアーを務めてきたクレイグ・セイガー氏が死去。65歳だった。15日に同氏が所属していたTNT(ターナー・ネットワーク・テレビジョン)が明らかにしたもので、この日は各地で追悼セレモニーが営まれた。

 派手なスーツとカラフルな柄もののネクタイがトレードマークだったセイガー氏は2014年の4月に急性骨髄性白血病と診断され、3度の骨髄移植を受けていた。しかし「余命半年」と言われながら一時は現場に復帰。「最後まで全力でファイト、ファイト、ファイト」と笑顔で語る姿は全米に大きな感銘と共感を与えていた。

 オークランドで行われたウォリアーズ対ニックス戦の前には、かつてTNTの解説者を務めていたウォリアーズのスティーブ・カー監督(51歳)が柄もののネクタイを着用したうえでマイクを握り同氏を追悼。「陽気な彼に黙とうは似合わない。拍手で送ろう」と語ると、アリーナ内は嵐のような拍手に包まれた。

 イリノイ州出身のセイガー氏は1974年、フロリダ州サラソタにあるラジオ局のディレクターとして週給95ドル(当時のレートで3万4000円)で働き始め、75年には大リーグでハンク・アーロン(ブレーブス)がベーブ・ルース(ヤンキース)の通算本塁打記録を更新する715号を放ったときに球場へ無断で直行。土壇場で三塁側カメラマン席での取材証を手に入れ、アーロンが本塁に戻ってきたときには背後で歴史的瞬間を目撃するなど掟(おきて)破りの?取材を敢行していた。この模様は当時の映像にも残されており、白いトレンチコートを着たセイガー氏は選手に引き離されるまでアーロンのそばに踏みとどまっていた。翌日早朝の便でフロリダに戻ってその模様をラジオで報告。その音声データは大リーグの殿堂にも保管されている。

 1981年にはニュース専門局のCNNに移り、大リーグのプレーオフで現場のリポートを担当。選手や監督に何を言われても笑顔で切り替えすその温和な性格と知性が人気を呼び、その後、NBAを中継するようになったTNTのリポーターとして中継には欠かせないキャラクターとなっていた。

 NBAのアダム・シルバー・コミッショナー(54歳)は「彼は選手や監督たちと同様にリーグの“命”だった」と26シーズンにわたって試合を追い続けた名物アナの死を悼み、元セルティクスのスター選手だったラリー・バード(60歳)は「彼なしではNBAはちがったものになる」とその存在感の大きさを力説していた。

 セイガー氏の質問に対して素っ気ない答えを繰り返していたスパーズのグレグ・ポポビッチ監督(67歳)はこの日、サンズ戦のためにアリゾナ州フェニックスにいたが、会見では同氏の死去に関する質問を拒否。しかしロッカールームから出てくるとむせび泣きながら「このような日が来るたびにリーグは一歩後退してしまう。彼のことをよく知らなくても、彼がどんな人間なのかはいろいろな形で知っているはず。とても特別な存在だった」と、2分間だけ口を開いた。

 なおこの日、各地で選手たちはセイガー氏のコスチュームをプリントしたシャツを着用。ウォリアーズのカー監督はニックス戦が終わるまで、派手な柄もののネクタイを身につけたままだった。

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