いやです駄目ですいけません…勝ちきれない稀勢の里の人間味

[ 2016年12月8日 08:45 ]

九州場所で栃ノ心(左)に下手投げで敗れる稀勢の里
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 【鈴木誠治の我田引用】大相撲の九州場所13日目、大きなため息とともに「またか…」と思った人は、多いのではないだろうか。わたしもその1人。3横綱を連破した直後に迎えた平幕の栃ノ心との1番で、大関・稀勢の里は、あっさりと土俵を割った。

 日本人横綱の誕生を期待され続けながら、いまだに優勝もできない稀勢の里は、場所後に横綱審議委員会の守屋秀繁委員長に「理解に苦しむ不思議な大関」と歯がゆい気持ちを言葉にされた。稀勢の里に喫した1敗のみで優勝した横綱・鶴竜には「あと少し、何か一つ足りない」と評された。

 「あと一つって、なんだろうね」

 女勝負師のスゥちゃんに聞くと、答えは、またもひと言だった。

 「やる気じゃないの」

 稀勢の里は優勝がかかる場面で、ことごとく負けてきた。実力はあるのに、大一番では緊張して力を出せないというのが定説で、だから「またか…」となるのである。しかし、スゥちゃんの見方は少し違う。

 「相手が強ければ気合が入るけど、自分より格下と思うと、やる気が出ないんじゃないの。強いやつには勝ちたいけど、横綱になりたいとは思ってないのかもね」


 春の夜や いやです駄目です いけません


 井伏鱒二氏の小説「駅前旅館」は、主人公の旅館の番頭が艶っぽい出来事に遭遇する。その中で、ひょっこり出てくる句だ。説明しなくても、人それぞれ、勝手に妄想が膨らむという意味で、秀逸だと思う。これが女性の句なら、モラルを支えとする意志が、劣情とのせめぎ合いの末に押し流される様子を、たった三つの言葉の連なりで表現したと受け取れる。

 さて、この三つの言葉に、「負けるのは」とつけてみる。すると、負けないという強い意志が、負けられないという義務となり、最後は、負けたくないという願望に変わる。よくある、プレッシャーへの心の変化だ。では、「格下との対戦は」とつけてみると、やってられっかという拒絶が、やりたくないなぁという否定ほどに弱まって、最後は、やらなくていいんじゃないの…と押し流されていく。もう、やる気がない状態だ。

 大関の心の内はわからないが、大一番で勝てない原因がプレッシャーとか、やる気ならば、意志を貫き通せない人間味が、失礼ながら、なんとなく安心感を与えてくれる。スポーツの取材をしていると、人間の弱さを強い意志で克服する話を聞くことが多いから、余計に、我が身をすり寄らせてホッとする。

 特に、今回の九州場所は、3横綱と三役には全勝しておきながら、3敗はすべて平幕が相手だった。強いけど、取りこぼす。「稀勢の里、ここに極まれり」といった感じもして、「今のままで十分だから」なんて思ってしまう。勝ってほしいという切ない気持ちを押しつけるより、勝ちきれない稀勢の里の人間味にひかれるのだ。

 これもかなり、こじつけっぽいが、例えるなら唐の詩人、于武陵の「勧酒」を井伏氏が訳した、こんな気分だろうか。


 コノサカヅキヲ受ケテクレ

 ドウゾナミナミツガシテオクレ

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ

 「サヨナラ」ダケガ人生ダ


 いくら強くて華があるお相撲さんでも、耐えられない嵐だってあるよ。立ち会い前に、怖い顔したり、微妙にほほ笑んだり、にらみつけたりしないで、まあ、一杯。サヨナラと隣り合わせの人生は一期一会、人間くさい大関と同時代に生きていることを、幸せに思いますよ。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。ボクシング、ラグビー、サッカー、五輪を担当。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。

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