川内 号泣3位で世界陸上へ前進「ホッとして、うれしくて」

[ 2016年12月5日 05:30 ]

福岡国際マラソン ( 2016年12月4日    平和台陸上競技場発着 )

故障を乗り越えての快走にインタビューで涙ぐむ川内
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 奇跡の激走で集大成の大舞台が見えた。来夏の世界選手権(英国・ロンドン)の代表選考会を兼ねて行われ、川内優輝(29=埼玉県庁)が2時間9分11秒で日本人トップの3位に入り、代表入りに大きく前進した。11月12日に右ふくらはぎを痛め、2日には左足首を捻挫。絶体絶命の状況を乗り切り、レース後は号泣した。イエマネ・ツェガエ(31=エチオピア)が2時間8分48秒で優勝した。

 公務員ランナーの魂の叫びが、福岡の寒空にこだました。「応援、ありがとうございましたぁ~!」。日本人トップでフィニッシュすると、川内が肩を震わせ号泣。マラソン64度目で初のうれし泣きだ。「ホントに今回は最悪な状況でスタートラインに着いたので…。ベストを尽くせてホッとした。ホッとして、うれしくて涙が出てきた」。日本代表としてのラスト舞台と定める世界選手権が、はっきりと見えた。

 11月12日に右ふくらはぎを痛めた。欠場を視野に入れるほどの調整不足に加え2日には左足首を捻挫。64度目のマラソンで最大のピンチに陥ったが、天は川内を見放さない。極限に集中を高めると痛みは消え20キロすぎに雨が落ちてきた。「雨で冷やされたのも良かった。雨を見て“一生懸命頑張ってきたからかな”と思った」と振り返る。

 30キロまでレースをリードする予定のペースメーカーが23キロ手前で離脱。「けん制してペースを落としたら何のために覚悟を決めてここに来たのか!」。すかさず仕掛けて日本のライバルを突き放すと、後は真骨頂の粘りを披露するだけだった。

 今年に入って瀬古、宗兄弟ら過去の名ランナーの文献を読みあさり、超長距離の練習を取り入れた。「宗さんは135キロ、瀬古さんは80キロ走っていた。間を取って100キロはやらないと」。7時間28分を要して100キロを走破。右ふくらはぎ故障後も今大会に向け、50キロ走は敢行した。温故知新の精神が激走を支えた。日本陸連の尾県貢専務理事も「百戦錬磨の経験から築かれた冷静さや、攻めのレースは非常に評価できる」と認めた走りだった。

 川内は日本代表に特別な意識を持つ。「代表に選ばれることが目的じゃない。代表に選ばれて戦うことが目的」。日本勢が惨敗したリオ五輪を見ても、世界選手権でのメダルの可能性を諦めない。「金、銀は無理かもしれないけど、銅メダルは前と差がつくんですよ!銅メダルなら、何とかなるっ」。日の丸最終章のロンドンで、公務員ランナーが再び奇跡を起こす。

 ▼世界選手権の選考 男子マラソンの枠は最大3。選考会は(1)福岡国際(2)東京(17年2月26日)(3)びわ湖毎日(同3月5日)(4)別府大分毎日(同2月5日)。(1)~(3)で日本人1位となり、日本陸連の派遣設定記録2時間7分を選考会終了までに突破した選手は内定。ほかに(1)~(3)で日本人上位3人、(4)で日本人1位の中から総合的に選考される。

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