石黒修氏死去 戦後日本初のプロテニス選手 俳優・石黒賢の父

[ 2016年11月11日 05:30 ]

14年10月、楽天オープン男子シングルス1回戦の試合後に全米オープン準優勝の特別表彰で記念撮影する錦織圭(左)と石黒修さん(右)

 テニスで戦後日本初のプロ選手となった石黒修(いしぐろ・おさむ)氏が9日午前5時50分、腎うがんのため都内の病院で死去したことが10日分かった。80歳だった。

 長崎市出身で、俳優石黒賢=写真=の父で精かんなマスクでも知られた。慶大卒。全日本選手権はシングルスとダブルスで各3度優勝。4大大会では65年の全豪オープンの男子ダブルスで渡辺康二氏と組んで8強入り。シングルスでは全豪オープンとウィンブルドンでの3回戦が最高だった。国別対抗戦のデ杯代表にも選ばれ、65年には監督も務めた。

 強力なスピンサーブを生かした攻撃的なプレーで、61年には前年のウィンブルドン王者のニール・フレーザー(オーストラリア)を破る金星も挙げた。4大大会を回る中で、プロ化が進む世界から日本が取り残されつつある状況を目の当たりにし、71年にプロ宣言。峠は過ぎていたが、石黒氏に続く選手が現れ、現在の錦織圭に続く道を切り開いた。

 72年には日本プロ協会を創設し、セイコー・スーパー大会の日本開催にも尽力。日本人プロのために地方のテレビ局などと組んで国内ツアーを組織するなど、コート内外でテニス界の発展に努めた。

 葬儀・ミサは15日午後1時、告別式は午後2時から、いずれも東京都渋谷区南平台町18の13、聖ドミニコ・カトリック渋谷教会で。喪主は長男実(みのる)氏。

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