平尾誠二さん死去 「胃潰瘍」で昨年9月手術…病名明かさず

[ 2016年10月21日 05:30 ]

ラグビー元日本代表の平尾誠二さん
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 1980年代から90年代前半のラグビー黄金時代を支えた神戸製鋼ゼネラルマネジャーの平尾誠二(ひらお・せいじ)氏が20日午前7時16分、死去した。53歳だった。葬儀・告別式の日取りは未定。死因、死去した場所は発表されていない。昨年9月末に体調を崩し、以後は療養が続いていた。伏見工、同大、神戸製鋼で全国制覇を果たし、日本代表主将、監督を務めた“ミスター・ラグビー”。2019年ワールドカップ(W杯)を前に、あまりにも早すぎるノーサイドが告げられた。

 ミスター・ラグビー、平尾氏があまりにも早くこの世を去った。53歳。病名は明らかになっていない。関係者の話を総合すると、療養していた神戸市内の自宅で息を引き取ったとみられる。

 昨年9月に体調を崩し、手術。当時、自身は「胃潰瘍」と説明した。手術後の食事節制で「7キロ痩せた。太り過ぎていたからちょうどいい」と語っていたものの、以後、公の場に姿を見せる回数が極端に減った。ゼネラルマネジャーを務める神戸製鋼には春以降は練習に姿を見せていなかった。ただし、練習や試合の映像データをタブレットで視聴し、最後までラグビーとともにあった。

 優勝請負人だった。京都・伏見工高(当時)で山口良治監督の下、81年に全国高校ラグビー大会初優勝。荒れた学校の成功物語はテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった。同大では史上初の全国大学選手権3連覇に貢献し、神戸製鋼では日本選手権7連覇を達成した。

 端正な顔立ちで口ひげがトレードマーク。スター選手として活躍した一方で、卓越した戦術眼や発想を持っていた。象徴的なのが神戸製鋼で全国社会人大会V3を果たした91年だ。監督を置かないチームの主将だった平尾氏のひらめきで大会前に普段なら行わない乱れたパスを受ける練習をした。「重圧がかかる場面でミスが起きる」。迎えた決勝の三洋電機戦。WTBウィリアムズの奇跡の同点トライは、ワンバウンドや後ろにそれるパスがつながって完成させたものだった。多数のサインプレーも考案した。

 日本代表キャップは35を数えた。87年の第1回W杯から3大会連続で出場。97年に34歳の若さで監督に就任し、98年1月に現役を引退。99年の第4回大会では指揮を執った。神戸製鋼の総監督なども務めた。

 日本で初めて開催される19年ラグビーW杯に向けては組織委員会理事・事務総長特別補佐を務めていた。少子化による選手不足、ラグビー人気低迷を危惧しながらも「19年を成功させることが日本ラグビー界の未来となる」と情熱を燃やしていた。しかし、志半ばでその輝かしい人生の幕を閉じた。

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