パラ競泳でメダル4個の木村、20年“ホーム”東京での金の可能性

[ 2016年9月22日 08:15 ]

リオ・パラリンピック水泳男子100メートルバタフライ(視覚障害)で力強い泳ぎを見せる木村

 【福永稔彦のアンプレアブル】リオデジャネイロ・パラリンピックで全盲の競泳選手・木村敬一(26)が銀メダル2個、銅メダル2個、合計4個のメダルを獲得した。

 4年前のロンドン・パラリンピックで銀メダルと銅メダルを1個ずつ手にし、リオでは金メダルを目指していた。それだけに最終種目の200メートル個人メドレーで4位に終わった後「4つのメダルより1個の金メダルが欲しかった」と悔しそうに話していた。それでも今大会の日本勢で最多のメダル獲得は快挙である。

 6月、練習拠点の日大文理学部キャンパス(東京都世田谷区)で木村を取材した。パラリンピックに向けて体をいじめ抜く時期。練習は想像以上にハードだった。早朝6時半から2時間ほど筋力トレーニングをこなした後、昼まで泳ぎ続ける。その後、昼食を取る木村の隣に座って話を聞いた。

 2歳で失明した木村は目が見えていた記憶がない。色の認識もないという。目から得る情報がないため、4つの泳法を習得するのも苦労が多かった。「10歳の時にスイミングスクールに入って最初はコーチに触ってもらって覚えた。全ての泳法を泳げるようになるまで2年かかった」。目を閉じてやってみれば分かる。まっすぐ泳ぐのも、まっすぐ飛び込むのも簡単ではない。というより曲がって当たり前なのだ。

 日常生活にも困難が伴う。インタビュー中、木村が手に持って食べているおにぎりのご飯が崩れて3分の1ほどがこぼれ落ちた。目が見える人ならば気づいて手で受け止めていただろう。こんなストレスを抱えながら暮らしているのだなと実感させられた。

 京王線沿線に住んでいる木村は、遠くに出かける時には電車を乗り継いで井の頭線渋谷駅の改札口でマネジャーと待ち合わせることにしている。最寄り駅から渋谷駅までは改札、ホーム、階段の位置や形状、人の流れまで頭に入っている。だから難なくたどり着ける。しかし、そこから先は杖や点字ブロックなどを頼りに進む。歩行者にぶつかる危険もある。

 海外など知らない土地ではさらにストレスは大きい。「海外遠征の移動は本当に大変。チームで行くならいいけど個人で動くのは難しい」と木村が話すのもうなずける。

 初めてのプールや慣れない会場ではプールやスタート台の形状、更衣室の位置なども一から覚えなくてはいけない。競技以外の準備が多くなるわけだ。リオでもそうした困難を克服した上で4個のメダルをつかんだ。

 4年後の東京パラリンピックはホームで開催される。新設される競泳会場も本番前に何度も泳ぐことができるはずだ。プールの形状や建物の中の間取りも頭に入っているからレースに集中できる。リオでは獲れなかった金メダルを東京で。木村にはその可能性が十二分にある。(専門委員)

 ◆福永 稔彦(ふくなが・としひこ)1965年、宮崎県生まれ。宮崎・日向高時代は野球部。立大卒。Jリーグが発足した92年から04年までサッカーを担当。一般スポーツデスクなどを経て、15年からゴルフ担当。ゴルフ歴は20年以上。1度だけ70台をマークしたことがある。

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