【上野由岐子・独占手記】投手は投げるだけ、勝利はチームのもの

[ 2016年9月11日 08:36 ]

<ビッグカメラ高崎・NEC>4回1失点と好投し、200勝目を挙げた上野

上野200勝達成

 応援ありがとうございました。投手は投げるだけで、勝利はチームのもの。そう考えてきたので、200勝という数字がピンとこなかったというのが正直なところでした。197勝で迎えた開幕時には「3勝はすぐ」と思っていましたが、左脚を痛め、199勝からこの日まで4カ月以上掛かりました。今はこの期間こそ、支えてくれた多くの方への感謝の気持ちを再確認できた「神様が与えてくれた休息」だと感じています。

 高校時代まで打たれて負けるという経験がほとんどなかった私は、レベルが高く厳しい世界を求めて日本リーグの日立高崎(当時)に入りました。入社後は練習からついていくのに必死。毎日「やっと終わった」と安どしたことを思い出します。それがうれしくて仕方がなかった。上には上がいる、ということが自分自身の“余白”を感じさせてくれたからです。

 リーグ戦はいつも、私に刺激をくれました。入社した01年シーズンの4月28日、長野県伊那市での大徳戦での初登板。開幕戦で「どこまで通用するんだろう」とドキドキしたことを思い出します。今日のユニホームは、その時と同じオレンジ。何かの縁を感じました。

 01年に初めて完全試合を達成したことも思い出深いです(9月30日、群馬県高崎市、シオノギ製薬戦)。1―0で迎えた最終回、フルカウントになったとき「この1球で全てが決まる」と思った瞬間、膝が震えました。生涯でたった一度の経験でした。

 転機となった試合もあります。06年の決勝トーナメント1回戦、相手はレオパレス21。実はリーグ戦で2―4で負けたんですが、打たれたイメージが頭から離れなかったんです。延長9回、打たれるのが怖い、という意識が押し出し四球につながりました。自分自身もバックも信頼できなかったことが許せなかった。生涯で最も後悔する1敗が、その後のソフトボール観を変えてくれました。

 08年北京が終わってから、一試合一試合がソフトボールに対する恩返しのつもりでした。でも、燃え切れない日々も多かったのが事実です。引退したいという気持ちで投げた1勝もあります。なぜ続けているのか悩みながら投げた1勝もあります。その意味で09年以降の勝ち星は、より多くのサポートで挙げたもの。重みが違います。

 20年東京での実施が決まった今は「東京、本当に出たいの?」と、自問自答する日々です。出場だけなら、したいのは当然でしょう。でも、本当に勝負できるのか。あの苦しい過程に耐えられるのか。まだ、答えは見つかりません。ただ毎日、上手になりたい一心で積み重ねていった先に、何かが見えてくると思います。ゴールを決めず、これからもベストを尽くしていくので、ご声援、よろしくお願いします。 (ビックカメラ高崎投手)

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2016年9月11日のニュース