グレコでも勝てる!太田銀の涙「金しか狙っていなかった」

[ 2016年8月16日 05:30 ]

男子グレコローマン59キロ級決勝でキューバのボレロモリナ(左)に攻められる太田(代表撮影)

リオデジャネイロ五輪レスリング男子グレコローマンスタイル59キロ級決勝 太田● 0―8Tフォール ○ボレロモリナ

(8月14日 カリオカアリーナ2)
 “忍者レスラー”が初出場の五輪で伝統をつないだ。レスリング男子グレコローマンスタイル59キロ級の太田忍(22=ALSOK)が銀メダルを獲得。決勝では昨年世界選手権王者のイスマエル・ボレロモリナ(キューバ)にテクニカルフォールで敗れたが、素早い身のこなしを生かした攻撃的なスタイルを存分に発揮した。レスリング男子は1952年ヘルシンキ五輪から16大会連続(不参加の80年モスクワ五輪除く)でのメダル奪取となった。

 男子レスリングの前評判の低さを吹き飛ばした。連続メダルが不安視されていた中、記録をつないだ。だが、その立役者の太田は涙に暮れていた。

 「本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。金しか狙っていなかった。世界で2番目の練習しかできなかった」

 リオ入りした後に右肩を痛め、痛み止めを飲みながらの試合だったが、五輪や世界選手権のメダリストを次々破った。84年ロサンゼルス五輪の宮原厚次以来となるグレコローマン金メダルを目指した決勝だけが、世界王者のボレロモリナに完全な力負けを喫した。

 「本人は最近よく“自分次第”と色紙に書いている。本当にそれをやってのけているからね」。山口・柳井学園高顧問の宮本宏高氏は感心する。ロンドン五輪女子48キロ級金メダルの小原日登美らを輩出した八戸キッズでレスリングを始め、青森・倉石中時代に全国2連覇。八戸キッズの恩師・勝村靖夫氏を頼って高校は山口にレスリング留学した。「当時のうちは部員も数えるぐらいしかいなかった」(宮本氏)という中でも、自ら希望してグレコの道を選び、全国選手権連覇など順調に成績を伸ばした。

 得点能力の高さはピカ一。相手の頭と腕を上から抱え込んだ体勢からのがぶり返しで豪快に相手を裏返す。準決勝のバイラモフ(アゼルバイジャン)にもこの技からフォール勝ちを収めた。この攻撃面をより生かすためにも徹底的な体力強化に励んできた。練習拠点を置く日体大では30分休みなしのスパーリングで何度も倒れた。体が動かなくなると悔し涙を流しながら、最後の一滴まで体力を絞り出した。

 昨年の世界選手権でグレコ陣は全階級合わせてわずか1勝に終わった。日本は伝統的に女子を含むフリースタイルが強いが「グレコでも勝てる。自分がやってやるという気持ちだった」という反骨心を見事にメダルにつなげた。ただし、どれだけ称えられようとも、その悔しさも自分次第。「4年後は絶対にやってやろうという気持ちになった」。涙に濡れたその瞳で東京五輪の舞台を見据えていた。

 ▽グレコローマンスタイル 上半身への攻防に限られた男子レスリングの一種目。腰から下への攻防も認められ、タックル中心の試合展開となるフリースタイルとは対照的に投げ技が多用される。レスリングの起源とされ、五輪では1896年の第1回アテネ大会から実施。現在は59キロ級から130キロ級までの6階級が行われている。

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