1920年熊谷一弥「一生の不覚」銀 日本第1号メダルは行方不明

[ 2016年8月16日 05:30 ]

アントワープ五輪で銀メダルの柏尾誠一氏(左)、熊谷一弥氏(中央)とウィンブルドンで活躍した清水善造氏

 第1号の熊谷一弥から96年の時を経て錦織が獲得したメダルは、日本にとって424個目の五輪メダルとなった。

 福岡県大牟田市出身の熊谷は、小学生の頃に教師たちがやっていたテニスと出合い、慶大で軟式から硬式に転向。その後は三菱銀行の行員として海外転戦の経費など支援を受けてプレーした。映像を見るとまるでナダルのようなスイングだ。

 1920年アントワープ五輪では金メダル候補と期待されていたが、決勝で無名だったルイス・レイモンド(南アフリカ)に敗れた。自伝「テニスを生涯の友として」(講談社)の中で「テニス生活中、一生の不覚と言っても過言ではない」と述べている。熊谷の長男・一夫さん(88)も「普段テニスの話をしない父が、家庭の中で再三言ったのを聞いています」と振り返る。

 熊谷は柏尾誠一郎と組んだダブルスも銀メダルに終わった。シングルスは記念すべき日本の第1号メダルだが、帰国後にあちこちに貸し出しているうちに行方不明になってしまったらしい。秩父宮記念スポーツ博物館(現在閉館中)に熊谷が寄贈したダブルスのメダルだけが保管されている。

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