難民選手団のミセンガ 亡命、路上生活…柔道に見出す生きる意味

[ 2016年8月12日 05:30 ]

男子90キロ級の3回戦で敗れ、観客の大声援に応える「難民五輪選手団」のポポル・ミセンガ

リオデジャネイロ五輪柔道・女子70キロ級決勝

(8月10日)
 まだ6歳だった。目の前で母を殺された少年は夢中で森に逃げた。ルワンダとの国境に近いコンゴ東部のブカブという町。民族対立と鉱物資源獲得を巡って発生した第2次コンゴ戦争は、ポポル・ミセンガ(24)の運命を変えた。森の中をさまようこと1週間。救助されて難民センターに送られ、そこで柔道を習ったが、苦痛は消えない。頭角を現して大会に出るようになったものの、成績が悪いと独房に入れられ水も食べ物も与えられなかった。スポーツさえも憎い敵。そして3年前、リオデジャネイロで開催された世界選手権に出場した際に亡命を求めた。

 日本のベイカーが金メダルを獲得した10日の柔道男子90キロ級。難民選手団10人の中の1人として出場したミセンガはインド選手を下し、世界ランク1位の郭同韓(24=韓国)には一本を取られて敗れたが「強い選手を相手に思ったより長く(4分)戦えた」と善戦した。

 亡命後は路上で寝る日々。受け入れてもらえる道場がなかったら今の姿はなかっただろう。だが、過酷な日々は続いている。住んでいるのは今大会で問題視されたスラム街。その狭い一室にブラジル人女性と、その間にできた1歳の息子、さらに彼女が連れてきた3人の子供と生活している。

 その一方で、母国にいるはずの父や兄弟とはもう15年も会っていない。「どこにいるか分からないけど家族のことを忘れることはない。テレビを見てくれていればいいなと思う。いつかメダルを獲る。だから次は東京五輪を目指すんだ」。生きる意味を求めて始まった壮絶な柔道人生。敗者に対して温かな拍手が湧き起こったとき、ミセンガにとってスポーツは敵ではなく味方になった。

 ◆ポポル・ミセンガ 1992年2月25日、コンゴ・ブカブ出身の24歳。柔道女子70キロ級に出場したヨランデ・ブカサ(28)とともに3年前にブラジルに亡命。10年のU―20アフリカ選手権で3位。今年6月、難民選手団に選出された。1メートル80。

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