内村、神すぎ大逆転連覇!東京五輪でキャリア集大成へ

[ 2016年8月12日 05:30 ]

<リオ五輪  体操個人総合>金メダルを確定させた内村は雄たけびをあげる

リオデジャネイロ五輪体操・個人総合決勝

(8月10日 リオ五輪アリーナ)
 個人総合決勝で、内村航平(27=コナミスポーツ)が奇跡を起こし、44年ぶりの偉業を達成した。5種目を終えトップのオレグ・ベルニャエフ(22=ウクライナ)に0・901点のリードを許したが、最終種目の鉄棒で逆転。合計92・365点で、12年ロンドン五輪に続いて金メダルを獲得した。五輪連覇、団体 総合との2冠はともに72年ミュンヘン五輪の加藤沢男以来。体操ニッポンが誇るキングは、20年東京五輪で黄金のキャリアを締めくくる。

 いつからだろう。戴冠が当然と周囲に思われるようになったのは。「最近じゃ、個人総合で勝ってもあんまり“おめでとう”って言われなくなっちゃった」。いつ以来だろう、こんな窮地に追い込まれたのは。「負けたかなと思った」。絶体絶命の状況から、奇跡の大逆転。五輪の女神は、やはり内村を愛していた。

 「疲れ切りました。出し切りました。もう何も出ないところまで出し切って獲れたので、うれしいよりも幸せです」

 悲願の団体金メダルから中1日。夢舞台で“完璧VSほぼ完璧”の熱いバトルが繰り広げられた。「1種目も1秒も気持ちを緩めなかった」。内村もベルニャエフも好演技を続け、0・901点のリードを許して鉄棒へ。演技中に腰を痛めながら離れ技を全て決め、微動だにしない着地で締めた。「これで負けても悔いはない」。死力を尽くしたから、ベルニャエフの演技には背を向けた。

 ウクライナの22歳は着地で一歩、前に動いた。メダルの色を分けたのは、キングとのわずかな差だ。内村を超えるには14・900点が必要な状況で14・800点止まり。0・099点差で連覇が決まると内村は叫び、拳を突き上げた。ライバルが観衆が、みんながキングを祝福した。

 「見ている人には、面白い内容を見せられた。体操の難しさ、面白さを伝えられたと思う。それが良かった」

 ロンドン五輪後の12年11月11日、千穂さん(27)と結婚した。当時は個人総合で世界選手権を合わせた世界大会で4連覇。だから「1」が4つ並ぶ日に決めた。婚姻届を提出したのは11時11分。これからも「1」が続くように、という願いを込めて。夫となり、2人の娘の父となっても無敗進撃を続け、リオで連覇は8に。結婚記念日の誓いは現実になった。「8年間個人のレベルを一気に引き上げて、これだけできるんだってことを真  っ先に証明した。体操の進化に貢献できていると思う」

 団体を制した夜、日本にいる家族にテレビ電話をかけた。長女・斗碧(とあ)ちゃん(3)に「金メダルあげない」と言って泣かせてしまったパパは、この日も試合後に電話し、2つ目の勲章を披露。競技優先で旅行に行くことも長時間、愛娘を抱っこすることもできない。合宿、遠征で一緒にいられない時間も多い。だから、自然と感謝の言葉があふれ出た。

 「(家族には)五輪までの間、かなり気を使わせて、自由のない生活をさせてしまった。帰ったら、存分にこき使ってください」

 年齢を重ねるごとに故障が増え、6種目演技した後は3~4日の休養では疲れが取れない。オールラウンダーとしての引き際が近いことは自覚している。「次やったら、オレグ(ベルニャエフ)には絶対に勝てないと思う」。近未来に訪れる個人総合との決別。鉄棒など種目別のスペシャリストとして、20年東京五輪を狙う。

 「絶対に出たい。出たら子供たちも記憶に残る年齢になっている。ダメ出しされない父親像を見せたい」

 斗碧ちゃんは内村の跳馬の前のポーズをまねするようになった。次女・千翠(ちあ)ちゃん(1)も4年後は、パパが偉大な体操選手であることを理解する。

 「東京五輪の演技を終えた後に“引退します”って言ったら、一番格好いいですよね」

 キングは歩む。愛する家族とともに、集大成のTOKYOへ。そして、キングは決める。愛する家族のために、栄光のフィニッシュを。

 ◆内村 航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日生まれ、長崎県諫早市出身の27歳。東京・東洋高、日体大を経てコナミスポーツクラブ所属。08年北京五輪は団体、個人総合で銀メダル。12年ロンドン五輪は個人総合で金メダル、団体総合、床運動で銀メダル。家族は千穂夫人と長女・斗碧ちゃん、次女・千翠ちゃん。1メートル62、54キロ。

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