元バレー女子代表・竹下佳江氏 サクラセブンズに思い重ねる

[ 2016年8月10日 12:00 ]

<ブラジル・日本>前半、ブラジルに阻まれる横尾(右から2人目)

リオデジャネイロ五輪ラグビー7人制女子 日本5―33ブラジル

(8月8日 デオドロ競技場)
 リオ五輪から新たに採用競技となったラグビー7人制で、女子日本代表「サクラセブンズ」は実力を十分に発揮できないまま10位で大会を終えた。バレーボール女子日本代表元主将で、セッターとして12年ロンドン五輪の銅メダル獲得に貢献した竹下佳江氏(38=本紙評論家)は、スクラムハーフとチームの束ね役である中村知春主将(28=アルカス熊谷)の苦心に思いを重ねた。

 ラグビーは男子の15人制を見たことがありましたが、7人制や女子を見たのは今回が初めてでした。バレーはネットを挟んでの競技なので、コンタクトプレーがない。トレーニングも厳しくて、私たちバレーとはまるで違うと聞きます。実際に女性がぶつかり合うのを見て、ハードなスポーツだなと感じました。

 まずは五輪で初採用の競技に出場できた経験は大きな経験になり、必ず今後につながると思います。20年には東京五輪がありますが、開催国枠で自動的に出場できる。今回、自力で出場権を獲得して出場したことは、4年後への自信になると思います。

 64年の東京五輪から採用されたバレーボールは、五輪での歴史も日本の実績もある競技です。そんな中、私も代表だった2000年のシドニー五輪で出場権を逃しました。当時のバッシングは相当なもので、その後の4年間のプレッシャーもかなり大きかったです。だから04年アテネ五輪の出場権を獲得した時は、「ホッとした」という言葉では片付けられないくらいの安ど感がありましたね。

 ラグビーの難しさを強く感じたのは、1日に2試合をこなさなければならないことです。暑い中での試合で体力的なリカバリーはもちろん、次の対戦相手の分析も短い時間で行わなければいけない。何より最も難しいのは、気持ちの切り替えです。負けた試合の後、メンタルを切り替えるのは容易ではないからです。

 バレーの場合、もちろん高校までなら1日に2試合をこなすことはありますが、代表レベルでは1日1試合が当たり前。五輪では中1日空くこともあります。敗戦後はもちろん気持ちの切り替えが大切ですが、メンタルリフレッシュする時間はあります。私は試合に敗れてどんなにイライラしても、必ずVTRを見返して反省をした上で次の試合に臨むようにしていました。もちろん嫌だなと思うことはありましたが、それを避けては同じ失敗を繰り返してしまいます。そういったことを1日の中で繰り返すラグビーは、他の競技にない大変さがあると感じました。

 中村さんは今回のブラジル戦で、前半にイエローカードで退場(シンビン)となってしまいました。もちろん、チームにとって必要なプレー(ハイタックル)だったと思います。バレーは1プレーごとに円陣を組み、他の選手と言葉を交わすことができます。私もキャプテン時代もそうでない時も、自分がミスを犯せば直後の円陣で他の選手に謝りました。プレーでもサーブポイントで得点を取り返すこともできます。ただ、ラグビーは7人が6人になり、14分の試合時間のうち、2分もいなくなる影響は凄く大きい。その点では取り返すことがバレー以上に難しいと感じました。

 日本代表のキャプテン時代、最も大切にしたことは選手間でしっかりコミュニケーションを取ることでした。バレーの代表も2カ月の合宿を繰り返すなどして、1年のうちの半年ほどはメンバーが一緒に過ごす時間がありました。年齢も10代の選手から30代のベテランまでバラバラ。でも、だからと言って会話を欠いてしまうと、必ず試合でも悪影響が出てしまう。セッターというポジションも、周りの選手のコンディションを把握する必要がありました。だから選手一人一人への目配り気配りは、キャプテンではない期間も含めて欠かしたことがありませんでした。

 ラグビー代表も年間200日以上も拘束期間があり、合宿や遠征を繰り返していたそうですね。選手も人間である以上、性格的に合う、合わないは必ずあると思います。ものの言い方一つとっても、選手によってはマイナスになってしまう場合がある。そういった点に細心の注意を払う苦労は、中村選手もされていたと思います。

 4年後には東京五輪があります。私自身は母国開催の五輪を経験していませんが、国内でのW杯などを通じてホームアドバンテージを感じることはたくさんありました。一方でプレッシャーは他国での五輪以上だと思います。ただ出場権を得ていることで、メダル獲得に向けた準備に集中できることは、アドバンテージになると思います。

 女子バレーは12年ロンドン五輪で銅メダルを獲得できました。28年ぶりの五輪メダルを獲得できた裏には、一つは選手全員が同じ目標をしっかり見ていたこと、そして前々年(10年)の世界選手権で銅メダルを獲得し、自分たちのバレーに自信を持てたことがありました。自信を持てたことで、こういう形でやれば五輪でもメダルを獲れると確信でき、チームの一体感も高まったと思います。

 今後はラグビーも東京に向けて監督やメンバーも変わると思います。それでも最後に結果が出ると信じ、4年後に向かってほしい。協会がしっかりとした体制を整えて、過程を大事にしてもらいたいと思います。

 ◆竹下 佳江(たけした・よしえ) 1978年(昭53)3月18日、福岡県北九州市生まれの38歳。97年に19歳で日本代表入り。05~09年に主将を務め、五輪には04年アテネから3大会連続出場。12年ロンドンで銅メダル獲得に貢献した。12年にプロ野球・広島の江草仁貴投手との結婚を公表し、13年に現役を引退。今年6月にヴィクトリーナ姫路の監督に就任した。現役時代のポジションはセッター。1メートル59、52キロ。

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