銅でも立派なメダル 誤った呪縛から選手を解き放とう

[ 2016年8月10日 11:30 ]

銅メダルを決めるも、浮かぬ表情の松本

 かつて旧民主党時代のの蓮舫議員がスーパーコンピューターを巡る事業仕分け作業の際、「2位じゃダメなんですか」の名言?を吐いて物議を醸したことがあったが、今回のリオ五輪を見ていてふと頭に浮かんだのは「銅メダルじゃダメなんですか」という言葉だった。

 腰痛を克服して見事3位に食い込んだ重量挙げ女子の三宅宏実とは対照的に、柔道で3位となった選手たちに笑顔は一切なかった。インタビューする方がいくら「おめでとう」と声を掛けても、返ってくる言葉は「あんまりうれしくない」(女子48キロ級・近藤亜美)、「負けたら全部一緒」(男子66キロ級・海老沼匡)、「悔しい」(女子52キロ級・中村美里)と肩を落とすだけ。せっかくの表彰式も痛々しくて見ていられなかった。

 柔道の選手が銅メダルを獲っても喜ばないのはもはや恒例行事で、今さら違和感はない。だが、今回は最初から銅メダルが続いたこともあって妙に気になった。明治15年に嘉納治五郎によって創設された講道館柔道は武道の一つとして発展し、64年の東京五輪で初めて五輪の正式種目に採用された。当時は誰も日本人が柔道で外国人に負けるとは思っていなかった。だが、一番注目された無差別級で神永昭夫がヘーシンク(オランダ)にまさかの完敗。日本中に衝撃与えた。マスコミは一斉に「日本柔道の敗北」と騒ぎ立て、国民もまた「日本発祥の柔道で負けるなんて」と厳しい目を向けた。それから50年以上の歳月が流れ、選手たちを取り巻く環境は大きく変わった。今や柔道は世界中に普及し、競技人口も激増した。ルールは何度も変更され、無差別級は廃止、カラー道着や旗判定に変わるゴールデンスコア方式が導入された。今行われているのはスポーツとしての「JUDO」であり、日本古来の武道としての「柔道」ではない。「日本発祥だから勝って当たり前」の根拠はもうとっくに消滅しているのだ。にもかかわらず、まだ多くの関係者や指導者、そしてとりわけ選手自身が「勝たなければならない」と思い込んでしまっている。金メダルを逃したからと言って謝る必要はない。銅でも立派なメダルなのに…。

 4年後は再び東京で五輪が開かれる。柔道への期待はこれまで以上に高まるに違いない。プレッシャーも桁外れだ。それを少しでも軽減し、選手たちに本来の力を発揮させるためには、「金メダル以外はメダルじゃない」という誤った呪縛から一刻も早く解き放ってやることが必要なのではないか。柔道に携わるものすべてが、そして我々マスコミもまた考えを改めなくてはならない。それが東京で好成績を挙げる最も近道になると思うのだが。(藤山 健二)

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