瀬戸は初五輪で銅!競泳日本勢60年ぶりダブル表彰台

[ 2016年8月8日 05:30 ]

競泳・男子400個人メドレーで3位の瀬戸(左)と1位の萩野はメダルを手に笑顔

リオデジャネイロ五輪第3日・競泳男子400メートル個人メドレー決勝

(8月6日)
 男子400メートル個人メドレー決勝で、瀬戸大也(22=JSS毛呂山)は4分9秒71で銅メダルを獲得。萩野公介(21=東洋大)が自身の日本記録を1秒56上回る4分6秒05で世界一に輝き、競泳の日本勢では1956年メルボルン大会以来60年ぶりのダブル表彰台となった。

 夢に見た舞台で流れた君が代は、萩野が勝ち取ったものだった。良きライバルと表彰台から日の丸を見上げた瀬戸は首に下がるメダルを見て「(2連覇した)世界水泳より凄く重たい。五輪はメダルを獲ったことがないので、素直にうれしい」と柔和な笑みを浮かべた。

 予選で自己ベストを100分の3秒更新し4分8秒47で2位通過。萩野とも1秒以上差があり「凄くいい感じ。いける」と手応えがあったが、決勝は2位で2泳目の背泳ぎを折り返すと、得意の平泳ぎでケイリシュに抜かれて3位。最後の自由形も伸ばせず予選からタイムを1秒以上落とし、開口一番「いやー、疲れちゃいましたねー」と疲労を隠さず「敗因は平泳ぎのキックの引っ掛かりがいまいちなかったこと」と冷静に分析した。そして、「東京五輪では自分も4年間みっちり準備して、次こそはワン・ツー・フィニッシュできるように頑張りたい」と次の大舞台へと目を向けた。

 ロンドン五輪選考会。前年は萩野に連勝し、ムキムキの筋肉を両親に見せびらかすほど絶好調だった。だが、試合3週間前にインフルエンザに感染し40度の高熱を出した。気づけば体は激変し「筋肉が全部なくなった」と母の一美さんは言う。試合は3位で代表落ちし、どん底まで落ちた。それでも、銅メダルを獲得するライバルの姿を見て立ち上がり、ようやく本気で練習に取り組めるようになった。

 その翌月の国体で萩野に勝利し、12月の世界短水路選手権でも下すと、翌年の世界選手権を制覇。リオを目指す中、その年から1年間の目標を書いて、13年は「挑戦 謙虚 全力」、14年は「勝負勘 挑戦」、15年は「準備」、16年は「自信」とトイレに張り、大舞台を見据えた萩野との勝負に備えた。

 中3でまだ優勝がなかった全国中学大会ではバタフライなら優勝できるチャンスもあったが、あえて萩野が出場する個人メドレーに種目をぶつけたことがある。大きな目標だからこそ燃えられた。もう口癖のような「公介のおかげ」という言葉に耳をふさいだライバルも、ついに「大也のおかげ」と言った。真剣勝負の舞台が五輪だからこそ、2人は心から認め合える存在となった。

 ◆瀬戸 大也(せと・だいや)1994年(平6)5月24日、埼玉県入間郡毛呂山町生まれの22歳。5歳で水泳を始める。毛呂山中から埼玉栄高に進学し、12年日本選手権400メートル個人メドレーは3位でロンドン五輪出場を逃す。13年に早大に進学。13年、15年の世界選手権400メートル個人メドレーで日本勢として大会史上初の連覇を達成。1メートル74、72キロ。血液型A。好きな芸能人は少女時代のユナ。

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