小兵、脱臼癖…だから大横綱になれた 1日千回もの腕立て伏せも

[ 2016年8月1日 05:30 ]

1989年3月25日、春場所で27度目の優勝決めた千代の富士が左肩を脱臼する

元横綱千代の富士・九重親方死去

 千代の富士は横綱としては恵まれた肉体ではなかった。身長1メートル83で体重は120キロ台の小兵。肩には脱臼癖もあった。だが、その弱点を克服するために取り入れた筋力トレーニングが飛躍のきっかけとなった。

 当時、相撲の稽古は四股、てっぽう、すり足が中心。筋トレには否定的な見方が強かった。だが、千代の富士は稽古場に相撲部屋では初めて腹筋台やバーベルを持ち込んだ。自宅でも1日1000回もの腕立て伏せ。東京都江戸川区の8畳の自室は4カ月に一度、畳替えをしなければならないほどすさまじいトレーニングだったという。

 この脱臼癖により、相撲を変えたことも成功につながった。若い頃は軽量ながら相手を引っ張り込んで、強引に上手投げに持っていくことが多かった。だが、脱臼のリスクを軽減するため、前まわしを引いて頭をつける取り口に変えていった。関脇だった81年初場所、初日から14連勝を飾った千代の富士は千秋楽の本割で横綱・北の湖に敗れたが、優勝決定戦では体格で勝る北の湖に頭をつけて上手投げで仕留め初優勝を飾った。この時の視聴率は52・2%で現在でも大相撲中継の最高視聴率となっている。

 横綱になってからは輝かしい栄光を築き上げた。休場明けだった88年夏場所7日目から同年九州場所14日目まで53連勝を飾った。89年名古屋場所では、同じ九重部屋所属の北勝海との史上初の同部屋横綱優勝決定戦を制して28回目の優勝を飾った。場所前の6月12日には「乳幼児突然死症候群」で生後3カ月の3女を亡くしていたが、気力を振り絞って土俵に上がり続けて賜杯を抱いた。この場所も含め、休場明けの優勝は6度にも及んだ。脱臼癖を克服した横綱は卓越した精神力も身につけ、大横綱となった。

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