元ウォリアーズ・ネイト・サーモンド氏が死去 白血病で闘病生活

[ 2016年7月17日 12:18 ]

白血病との闘病の末に死去したネイト・サーモンド氏(AP)

 NBAを代表するセンターの1人で元ウォリアーズのネイト・サーモンド氏が16日、白血病との闘病の末に死去。74歳だった。

 ボウリンググリーン州立大(オハイオ州)から63年ドラフトの全体3番目に指名された同氏は、当時サンフランシスコに本拠を置いていたウォリアーズに入団。1試合100得点のリーグ記録を保持していたウィルト・チェンバレン(故人)が当時の主力センターだったが、64年シーズンに76ersにトレードされて先発に昇格した。

 2メートル11の長身を利して攻守両面で活躍。67年シーズンには20・5得点、22・0リバウンドと、リバウンド数が得点を上回った。70年代前半にレイカーズの名センター、カリーム・アブドゥルジャバーと繰り広げたゴール下のバトルは当時のハイライト場面にもなった。

 ブルズにトレードされた74年シーズンのホークス戦(10月18日)では22得点14リバウンド13アシスト12ブロックショットをマーク。これが公式記録上、NBA初のカドラプルダブル(4部門2ケタの成績を残すこと)となり、現在まで達成した選手はまだ4人(計5回)しか誕生していない。

 75年シーズン、最初の13試合をブルズでプレーしたあと、サーモンド氏はオハイオ州クリーブランドを本拠にしているキャバリアーズに移籍。76年シーズンのプレーオフ東地区決勝でセルティクスに2勝4敗で敗れ、これが現役最後の舞台となった。コート上では荒々しいプレースタイルを見せたがコートを離れると人格者。殿堂入りも果たし、NBAのファンと選手からは絶大な人気と信頼感を集めていた。

 通算14シーズンで964試合に出場して15・0得点、15・0リバウンドとこの2部門の数字は同じ。球宴には7回選出され、NBAの「伝説の50人」にも選ばれた。キャバリアーズでは62試合にしか出場していないが、オハイオ州アクロン出身ということもあって42番はウォリアーズ同様に永久欠番となっている。

 くしくも今年のファイナルの対戦カードはキャバリアーズ対ウォリアーズ。同郷の英雄の死に対し、ファイナルでMVPとなったキャバリアーズのレブロン・ジェームズ(31)は「同じリーグでプレーしたあなたがいたからこそ、私には希望があった。ありがとう」という感謝のコメントを残した。

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2016年7月17日のニュース