カヌー・羽根田 五輪3大会連続出場“サムライパドラー”激流へ

[ 2016年6月1日 13:35 ]

急流を下る羽根田

「カウントダウンリオ」カヌー・羽根田

 今回のテーマ「メダル候補の虎の穴探索」は、カヌー・スラローム男子カナディアンシングルの羽根田卓也(28=ミキハウス)が青春時代を過ごした岡崎カヌー練習場(愛知県岡崎市)。杜若(とじゃく)高では生活の全てをささげるほど競技に没頭。全力疾“漕(そう)”の日々が肥やしになって、五輪3大会連続出場、リオでのメダル候補にまで成長した。五輪のカヌー競技では過去5大会でメダル15個を獲得している強豪国スロバキアで生活するサムライパドラーの原点に迫った。

 長いスロバキア生活の羽を休めるのには、慣れ親しんだ場所が一番だ。3大会連続の五輪代表を決めたカヌーの羽根田には、帰国すると顔を出す場所がある。杜若高時代、毎日のように通った愛知県岡崎市にある岡崎カヌー練習場だ。年季を感じさせる艇庫。整然とかけられた舟の前に立つと、柔和な表情がもっと優しくなる。

 「競技人生の中で高校時代が一番練習をしたと思います。すべて自己流でしたけど。暇な時間を全てカヌーに費やしました。今なら、完全にオーバーワークですよね。当時は限界まで自分をいじめ抜いた自信があります。うまくなりたい、強くなりたいというハングリー精神が大きな支えになっていました」

 名鉄豊田市駅から20分ほど車を走らせると、羽根田の原点に到着する。愛知県の県道39号沿い。うっかりしていると通り過ぎてしまいそうなほど、矢作川の支流・巴川につくられた施設は自然豊かな周囲の景色になじんでいた。どこから行っても遠いため、最寄り駅と呼べる駅はない。当時の羽根田の交通手段は自転車。豊田市の自宅から40分かけて通った。

 1日24時間では足りない高校生活だった。平日は午前6時前に家を出て、岡崎カヌー練習場で朝練。そこから杜若高校のスクールバスに乗って10キロ以上離れた学校へ通った。元々、カヌー場の前にバス停はなかったが、羽根田が朝練をするようになってから学校側の配慮により、バスが止まってくれるようになった。

 昼休みはグラウンドで懸垂をするのが日課。授業が終わるとスクールバスで再びカヌー場へ。「真っ暗になっても漕(こ)いでいた」。練習が終わるのが午後9時。自転車で帰路に就き、10時頃に自宅に戻った。自転車もパドルも漕いで漕いでの毎日だった。冬の朝はカヌー場が濃い霧に包まれた。寒さもこたえた。でも、めげなかった。

 自他ともに認める練習の虫ながら、中学まではやめることばかり考えていたという。自らも元選手で、3人の息子のうち2人を競技に導いた父・邦彦さん(56)は、次男の卓也をカヌーに振り向かせるのに手を焼いた、と懐かしそうに振り返った。

 「カヌーが嫌で嫌でしょうがないという子供でした。“アイスを買ってあげるから”“スノボの板を買ってあげるから”と物で釣って練習をさせていました」

 やる気にスイッチが入ったのは、朝日ケ丘中3年。ポーランドでの国際大会で、世界を知ったからだ。「イヤイヤ少年」が何でも一生懸命な「全力少年」へと生まれ変わった。

 「こんなに速い選手が世界にはいるのかと衝撃を受けました。高校では世界とどうすれば戦えるかだけを考えました」

 幅50~60メートル、長さ500メートルほどある岡崎カヌー練習場は周囲の高い木々が水面に映り込むほど、湖のように穏やかだ。それはすなわち、水路で直線の速さを競う「スプリント」の施設であることを示す。ゲートをくぐりながらいかに速く急流を下るかを争う、羽根田が専門とする「スラローム」とは対照的な環境だ。

 カヌーは「スプリント」と「スラローム」に大別され、この2つが五輪種目。しかし、「スラローム」は高校総体の実施種目ではない。危険性が高いからだ。その影響もあって、スラローム選手は基本的に個人で活動している。羽根田は平日、岡崎カヌー練習場の静かな水面に世界を夢見ながら、基本技術の習得に励んだ。両岸にワイヤを通し、ぶら下げたポールをゲートに見立て、静水でも磨ける技術は何かを考え尽くした。急流に出るのは週末だけだった。この頃には父の指導を離れ、教科書は自分。独学で練習を積んだ結果、高校3年で日本選手権を制した。

 高校卒業後の06年。強くなりたい一心で海を渡った。強豪国スロバキアでの武者修行生活は、もう10年が過ぎた。リオでは日本勢初のメダルの期待がかかっている。北京五輪は予選落ち、ロンドン五輪は7位だったが、14年世界選手権は5位、昨年の五輪テスト大会は銀メダルとめきめきと力をつけている。「五輪でメダルに絡む準備はできたと思う」。岡崎の静かな川面で培った猛練習が土台となって、世界はもう目前に迫っている。 

 7位入賞だったロンドン五輪後、羽根田はスポンサー探しに奔走した。それまで設計会社を営む父・邦彦さんから支援を受けていたが、独り立ち。履歴書や手紙を10社近く送り、門前払いが相次ぐ中で手を差し伸べてくれたのが現在の所属先、ミキハウスだった。「自分でお金をつくってスポーツをすることは凄く大変。こんなに難しいものかと痛感した」。資金不足で一時は海外合宿に参加できない時もあったが、それも解消。ミキハウス勢は現時点で7競技16人が五輪代表の座を射止めた。同社の木村社長は競技や種目によって金額は異なるものの、ボーナスとして総額3億円を用意していることを明かしている。

 羽根田がスロバキア生活をする上で欠かせない物がミツカン酢だ。自宅がある首都・ブラチスラバにはアジアの食材を扱ったスーパーがある。「そこでミツカン酢を買って、いつも冷蔵庫に入れています」。千枚漬をつくるのがマイブームだ。

 06年に海を渡った当初は食生活の違いに戸惑った。スロバキアの夕食はパンとバターだけというのが一般的だった。「朝昼はしっかり取るのに、夕食は軽くという生活スタイルでした」。日本人は1日3食が体に染みついている。食べられる物を自分で用意した。

 趣味は読書。歴史物を読み、新選組の土方歳三が特にお気に入りだ。「無口で実直。五稜郭まで自分の仕事をやり遂げた。そこが好きです。自分もカヌーが使命だと思ってやっています」。モットーは飾らず、ひたむきに。サムライパドラーは新選組と同じように「誠」の文字を旗印にして欧州での生活を送っている。

 ◆羽根田 卓也(はねだ・たくや)1987年(昭62)7月17日、愛知県豊田市生まれの28歳。カヌーをしていた父・邦彦さんの指導で、衣丘小4年で競技を始める。朝日ケ丘中から杜若高(愛知)へ。高校3年で日本選手権を制し、今年、同大会に10度目の優勝を果たした。高校卒業後の06年に単身、スロバキアへ。五輪で金2個、銀2個、銅1個の同国の英雄ミハル・マルティカンに憧れて海を渡った。最初はクラブチームに籍を置き、09年にコメニウス体育大学に進学。現在は同大学の大学院に在籍。北京五輪予選落ち、ロンドン五輪7位。1メートル75、70キロ。

 ▽カヌー・スラロームの日程 8月7日~11日。会場はデオドロ地区のホワイトウオータースタジアム。羽根田以外の日本代表にはきょうだい選手が多い。男子カヤックシングルは矢沢一輝(27)が兄で、女子カヤックシングルの矢沢亜季(24)が妹。男子カナディアンペアの佐々木将汰(23)、佐々木翼(21)組も兄弟で競技に励んでいる。

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