北島が変えたマインド「優勝できる。しなきゃ」を引き継げ 林亨氏

[ 2016年4月9日 08:32 ]

リオ五輪出場を決めた渡辺一(手前)を労う北島

競泳リオデジャネイロ五輪選考会兼日本選手権第5日

(4月8日 東京辰巳国際水泳場)
 北島の目標であり、北島にバトンを渡す形で引退した本紙解説者の林享氏(41)は、レースが終わったあとの北島をねぎらった。99年、衝撃的な初対決から17年。00年シドニー五輪は日本代表としてともに戦い、最後は競泳界の至宝へと成長した“後継者”へ、林氏が思いのたけをつづった。

 レース後のサブプールで康介と握手をしたのですが、晴れやかな表情でした。引退するかどうかは僕には分かりません。ただ表情は「やり切った」という満足感があったように見えました。本当にお疲れさま。アスリートはいつかこんな日を迎えるのですが、やっぱり寂しいですね。

 康介と初対決したのは99年の日本選手権100メートルだったと思います。50メートルは康介がリード。残りでかろうじて私が逆転したのですが、前半から積極的に行く凄い若手が出てきたなあ、と思いました。何より衝撃的だったのは、その美しいストリームライン。私の理想に近いものでした。

 翌年は日本選手権で康介に敗れ、シドニー五輪はともに戦いました。高校生ながら100メートル4位に入った康介ですが、92年バルセロナで4位だった私に「僕はこれで終わりでしょうか?」と真剣に聞いてきたことを覚えています。「おまえはここで終わる選手じゃない」と諭しました。私は「立派な後継者ができた。もう勝てない」と引退を決意したのは、康介の存在があったから。この日のレースで康介を逆転し初五輪を決めた渡辺一平は、私と同じ大分県出身。個人的には不思議な“縁”も感じました。

 平泳ぎというより、日本競泳界にとっての康介は時代の開拓者だったと思います。02年の世界記録に04年の五輪2冠。「メダルが獲れれば」という意識だった日本に「優勝できる。しなきゃ」というメンタリティーを確立したことは、4個の金メダルより大きな財産になったと思います。

 幸い、日本は続々と若きスター候補が生まれています。康介が変えたマインドを、誰かに引き継いでほしい。リオで多くの後継者が生まれることを期待したいと、今は思っています。(92年バルセロナ五輪男子100メートル平泳ぎ4位、東海学園大水泳部監督)

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2016年4月9日のニュース