04年アテネ五輪惨敗が転機“神様”監督に招き意識変革

[ 2016年3月15日 08:10 ]

女子シングルス決勝で王適嫻を破り、拳を握る奥原希望(AP)

 日本バドミントン界の転機は04年。アテネ五輪での惨敗を受け、日本協会は92年バルセロナ五輪男子複の金メダリストで“ダブルスの神様”韓国人の朴柱奉氏を監督に招へいした。

 指揮官はスーパーシリーズなどの国際大会に積極的に出場させる方針を示し、それに向けた代表合宿を組み、チームで戦うことを意識させた。

 当時の国際大会は8強入りが年に1、2度ある程度。「勝ちたい」から「勝つ」へ意識改革は進み、12年ロンドン五輪では女子ダブルスで銀メダル。スーパーシリーズ・ファイナルでは14年に女子ダブルス、昨年は男女シングルスを制するまでになった。

 “オグシオ・フィーバー”で認知度が高まり、競技人口が増えたことも大きい。登録費の増収分をジュニア強化に充て、早くから海外遠征を経験させた。年代別の強化合宿を行い、有望選手を発掘する体制が整い、ジュニアからナショナルチームへの転

換もスムーズになった。

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