20年東京へ向けて…すべてのパラスポーツに専任指導者制度を

[ 2016年3月12日 09:30 ]

 東京マラソンの車いす部門に出場したあるトップ選手の分析が興味深かった。20年東京が決まり、パラアスリートを取り巻く環境は良化の方向へと向かっている。しかし、強化の現場にその実感が乏しい、というものだった。その理由は指導者の不足だった。

 「指導者資格を取った人は増えている。だけど、その知識は本を読めば分かるようなことが中心。私たちが求めているのは、経験に基づいたもの。パラアスリートが現役を終えたあとに指導者になっていく道は、まだまだ整備されていないので仕方ないのかな、と思う」

 それに近い内容は、今月6日に行われた競泳の代表選考会でも耳にした。障がいの度合いは「クラス分け」によって明確化されているが、まったく同じ障がいを持つ選手は少ない。残された身体機能を最大限に発揮するためにどうすればいいか、は日々の試行錯誤。だからこそ、元アスリートの貴重な経験を指導に生かして欲しいというものだった。

 五輪の場合、自らも五輪など世界舞台を経験してきた指導者は少なくない。一方で、もとより出場者の少ないパラリンピック。大舞台を目指し、自身で試行錯誤を重ねた経験を持つ指導者は少数派だ。もちろん、熱意ある健常者がさまざまな指導方法を確立し結果に結びつけつつある競技もあるが、指導者そのものが不在という競技すら珍しくはない。

 ここは国主導で、すべてのパラスポーツに専任指導者制度を行き渡らせることができないか。五輪競技には100%助成のものと、競技団体が3分の1を負担するものと2種類の専任指導者制度がある。もちろん、欧州のようにトップスポーツの指導者を国家公務員扱いするようなレベルには到達していないが、一定の収入を確保したうえで指導に専念できることは指導レベルの向上にもつながる。

 ノウハウの蓄積がより勝負に直結するパラスポーツの場合、速やかな指導者確保が競技力向上の近道になる可能性すらある。道筋さえつけば、過去のパラリンピアンたちが後進の指導にあたることもより容易になるだろう。アスリートのセカンドキャリアや、将来的なバリアフリー社会への還元という観点からも、十分検討の余地があるように思うのだがどうだろう。 (スポーツ部遊軍・首藤 昌史)

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2016年3月12日のニュース