錦織 16年目標は4大大会V、そして…五輪への「特別な思い」

[ 2016年1月4日 12:00 ]

特大年賀状にメッセージを書き込み笑顔を見せる錦織圭

 日本が五輪に初めて出場した1912年ストックホルム大会から2012年のロンドン大会まで、100年で日本選手団が獲得したメダルはちょうど400個になる。第1号は1920年アントワープ大会のテニス男子シングルスで銀メダルに輝いた熊谷一弥だった。現在世界ランキング8位にいる錦織圭(26=日清食品)は、その熊谷以来96年ぶりとなるテニスでのメダル獲得を狙える選手である。4大大会初制覇だけでなく、リオ五輪での活躍も見据える錦織が、その思いを語った。 (取材・構成 雨宮圭吾)

 ペンを握った錦織は「うーん」としばらく考え込んだ。16年の目標。グランドスラム、オリンピックまで書いてその先をどうするか。「あんまり優勝って言いたくないなあ…」と迷っていたが、「ま、いいか」と最後は錦織らしいあっけらかんとした感じで「優勝」と書き加えた。

 テニス選手にとって最高の栄誉は他ならぬ4大大会にある。しかし錦織は五輪にも「特別な思い」があるという。「小さい頃からニュースで聞いていたり、長い歴史があってその重みは年々感じている。4年に1回という重みもある。そういう点ではメダルには凄く大きな意味がある」。乃木小2年の時は「五輪で金メダルを獲りたい」と作文に書いた。ツアーを転戦するようになっても、心の奥に刻まれたものは変わっていない。

 初出場は国際テニス連盟の推薦を受けて出場した08年北京五輪だった。初戦のコートに入った瞬間、錦織は極度の緊張感に襲われた。「試合の直前に急に“あ、ヤバい”となった。本当に突然でした。いいプレーをしないと次のチャンスは4年後かと思ったし、コートに入った瞬間に全く足が動かなかった。それだけは凄く覚えている」。既にウィンブルドンや国別対抗戦のデビス杯日本代表なら経験していた。その錦織が五輪の“重み”を初体験した瞬間だった。

 北京五輪は初戦敗退に終わったが、4年後のロンドン五輪では3回戦で第4シードのダビド・フェレール(スペイン)を撃破。「長い試合でフェレールに勝って、メダルには届かなかったが凄く満足していた」と日本人88年ぶりのベスト8まで進出した。

 この4年間はさらに飛躍を遂げた。14年全米オープンはアジア勢で初めて決勝に進み、昨年は世界ランキングで自己最高の4位をマーク。「メダルを獲れる位置にいるし、メダルを獲りたい気持ちも大きくある」と意識も変わってきている。

 1896年アテネ五輪から始まったテニスは、しばらく実施種目から外れていたが、88年ソウル五輪から復活した。前回大会ではアンディ・マリー(英国)が地元の声援を背に金メダルを獲得。直後の全米オープンで悲願の4大大会初制覇を達成した。08年北京五輪はラファエル・ナダル(スペイン)が制している。五輪の参加選手は64人、準決勝までは3セットマッチと形式の違いはあるものの、現在は4大大会優勝相当の力がなければ金メダルには届かない状況にある。

 昨季後半こそ不振だった錦織だが、年間を通じてトップ8を守り、確かな地力を証明した一年でもあった。「シーズン最終戦は久しぶりに思い切りテニスができた。いい感覚は戻ってきている」。トップ選手としての立場にも慣れ、いよいよ4大大会初優勝に本腰を入れるシーズン。それは同時に五輪金メダルも狙う立場でもあるということ。4大大会でも、五輪でも、スポーツ界を明るく照らしだす錦織の活躍が見られそうだ。

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2016年1月4日のニュース