柔道五輪代表選考「対外国勢」の成績重視は当たり前

[ 2015年12月7日 09:00 ]

誰が五輪代表になるのか?グランドスラム東京で表彰台に上がる男子100キロ超級の3人の選手たち(左から)2位の七戸龍、優勝した原沢久喜、3位の上川大樹

 国内では唯一の柔道の国際大会「グランドスラム東京」が全日程を終了した。日本は男女合わせて14階級中11階級を制覇。世界の柔道家にとってはクリスマス休暇前の最後の国際柔道連盟主催大会で、トップコンディションではない選手も多い。それでもロンドン五輪の金メダル1という結果から雪辱を期す日本にとっては、来年のリオデジャネイロ五輪に向けて、まずはホッとする結果ではないか。

 そして、この結果はリオ五輪の代表選考に大きな意味を持つ。

 実は、五輪のたびに物議をかもすのが柔道の代表選考だ。混乱の原因は「最終選考会」とついた試合が来年4月の国内大会であることだろう。福岡で行われる全日本選抜体重別選手権の終了後に男女最重量級以外の代表が決まる。残る最重量級は体重無差別の全日本女子選手権と全日本選手権後の強化委員会で決定する。「最終選考会の勝者がなぜ、五輪代表でないのか?」は、読者からの問い合わせが最も多いものの1つだ。

 だが、冷静に考えて欲しい。五輪での対戦相手は海外選手だけなのだ。選手の多くは「対日本勢」と「対外国勢」で戦い方を変えている。組み手1つでも複雑かつ繊細なもので、国内では圧倒的に強いが、海外ではまったく実績を挙げられないという選手は多い。その逆もしかり、だ。だからこそ、日本人同士の激戦ではなく、海外選手との相性が重視されるのが現実。それゆえ、五輪前に代表候補選手がそろって出場できるグランドスラム東京は「ものさし」の意味合いが大きいのだ。

 「選手を選ぶわれわれも苦しい。されど、それだけ厳しいのが勝負の世界」とは全日本男子・井上康生監督の言葉。現在、スポーツの世界では「代表選考の透明性」の担保が命題となっている。だが、選ぶ側のプロの見方を否定してしまうことには、私は反対したい。トップスポーツは結果がすべて。ならば、不成績の責任を指導者が負うシステムさえ構築されればいいのではないか。人間を選ぶのは、確かな「人間の目」でしかないと思うのだが。(首藤 昌史)

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2015年12月7日のニュース