レスリング女子“虎の穴”にみる非科学的トレの価値とは

[ 2015年10月29日 10:30 ]

世界大会16連覇となる、レスリング世界選手権女子53キロ級で獲得した金メダルを手に笑顔の吉田沙保里(AP)

 アスリートの強化には効果的なトレーニングとそれを裏付ける科学的な理論が必要だ。今の時代、選手は根性論だけでは動かない。

 では非科学的な練習はもはや時代遅れの無用の長物なのか。決してそういうわけでもなさそうだ。

 10月下旬に新潟県十日町で行われていた女子レスリングの全日本合宿を、日本オリンピック委員会の傘下競技団体の指導者が視察に訪れた。女子レスリングは近年はメダル量産種目となっており、吉田沙保里や伊調馨はリオ五輪でも金メダルの有力候補。その強さの秘密を学ぼうというものだった。

 視察メンバーの1人だった柔道男子代表の井上康生監督は、2日間の日程を終えて「今回は非常に財産になった」と振り返った。井上監督の心を打ったのは、ここで行われている練習の“非科学的”な部分だった。

 まずはこの「桜花町レスリング道場」の立地だ。廃校を再利用した建物はJR飯山線「十日町」から車で約30分の人里離れた山奥にある。

 高校生の時に初めて訪れたという吉田は「当時は携帯の電波も届かないし、水道からは茶色い水が流れていた。合宿所から逃げ出した人もいた」と振り返る。今は携帯こそつながるが、周囲に娯楽など皆無でレスリングに没頭する以外にない。

 視察の初日はスパーリングやロープ上りなど道場内での練習、翌朝は「金メダル坂」と呼ばれる道場前の坂道で2人を担いだり、背負ったりしてのダッシュが中心だった。原始的なメニューも多いが、自分を追い込み、大勢で乗り越える。選手から発せられるパワーには圧倒させられる。

 「みんながいるからできるし、個々の坂を登れば金メダルが取れると信じるからできる。耐えられるか、耐えられないか。格闘技って人がいればこの環境でもトレーニングはできる。モノはいらない」(吉田)

 近年の各競技の強化は東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)が拠点となりつつある。あらゆる設備がそろった「科学的トレーニングの殿堂」とでも言うべき豪華な施設。しかし、桜花町道場にあってNTCにないものは確実にある。

 伊調も「何度ここに来ても、きつくって慣れることはない。本当にここの坂を走るのは嫌。“きつい”しかないから」と心底嫌そうだ。しかし、一方でこうも言うのだ。

 「ここでは嫌なものをやるしかない。やらないといけない。人間って“あの時やらなかったからなあ”ってなりがち。たとえ嫌でも、やりきれば“やったぞ”っていう気持ちになる。それがいざ試合になると出るのかな。科学的トレーニングも必要だけど、それは自分1人だけのこと。2人以上で競い合えば意地も出るし、競争になれば負けたくないとも思う」

 同じ格闘技であるだけに井上監督には響くものも大きかったようだ。「練習方法も非科学的要素を含みつつ、基礎的なことも入っている。環境が整うだけでは、強化という面では失われる部分が絶対にある。選手にはブーブー言われるかもしれないが、柔道にもこういった虎の穴が欲しい」

 科学的なトレーニングはもはや当たり前。非科学的なものをいかに巧みに取り入れ、鍛えていけるか。今後はそれが優れた指導者の条件になるのかもしれない。(雨宮 圭吾)

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2015年10月29日のニュース