報われた代表の思い、そして19年大会へ 認知度アップに懸命訴え

[ 2015年10月20日 15:57 ]

日本代表フィフティーン

 こみ上げてくるものをこらえて、必死でメモを取った。20年以上の記者歴で初めてだった。W杯で日本ラグビーの歴史を変えた日本代表の帰国会見。文字通り体を削って巨漢たちを倒し、マイボールを保持し続けた37歳のロック、大野均の言葉に泣きそうになった。

 「羽田に着いて、多くの人が出迎えに来てくれて、12年間代表でやってきて、ずっと見たかった光景がそこにあって。本当にうれしく思う」

 羽田空港の到着ロビーは出迎えの人であふれ、バナーやフラッグが掲げられ、笑顔、歓声、ねぎらいの言葉で埋め尽くされた。選手、スタッフ、家族。ラグビーに携わる全ての人々がこんなシーンを待っていた。記者だって例外ではない。大野は3度目のW杯で憧れの光景にたどり着いたが、失意のW杯から寂しく帰国し、代表を去った選手たちも数多く見てきた。彼らの戦いも少しは報われたのだろうか。そう思うと、たまらなかった。

 会見後の取材では同じロックの34歳、トンプソンが関西弁で代表引退を表明していた。「今年の始めから考えていた。ボクはおじいちゃんだから(笑い)。でも、キンちゃん(大野の愛称)はまだできるね」。なに言ってんだ。4試合に先発して49回のタックルで相手を止め続けたアンタがいたからこそ、ジャパンは勝てたんだよ。引退なんてもったいない。「1週間休んだらトップリーグへ練習。トップリーグ、楽しみ。近鉄のファンに会いたいね。最高のファンだよ」。近鉄のジャージーなら、あの勇姿がまだ見られる。花園ラグビー場近くの店で好物のお好み焼きとたこ焼きでスタミナ補給したら、黙々と仕事をするためピッチに向かうのだ。

 羽田の到着出口で選手たちを真っ先に出迎えたのは、元日本代表ロックの日体大・田沼広之監督(愛称タヌー)だった。99年と03年のW杯に出場もチームは計7戦して全敗。“報われなかった代表選手”の一人だ。1メートル93の長身でラインアウトは強いけれど、94キロと軽量でジャパンのレギュラーに定着できなかった。それでも、ケガ人が出たりすれば喜んで追加招集に応じ、一言も文句を言わずに海外へ出かけていった。現在は19年W杯日本大会のアンバサダーも務めており、羽田では背番号「2019」のジャパンのジャージーに身を包んでPR。今回のジャパンには日体大出身の選手がゼロだったこともあり、4年後へ向けて「1人でも代表に送り出したい」と意気込んでいた。

 田沼監督は19年大会へ向けたラグビーの認知度アップへ“草の根普及”も訴えていた。「道行く人たちを呼び止めて、ラグビーボールに触ってもらおうと思っています。“重い”とか“軽い”とか実際に感じてもらえれば」。昔とは材質も違うから、たぶん「軽い」と感じる人が多いと思う。でも、藤田慶和のトライや五郎丸歩のPGを生み出すため、ジャパンのために、キンちゃんやトンプソンやタヌーらロック陣が体を張って、このボールを獲得してきたんだと想像したら「重い」と実感できるはずだ。(中出 健太郎)

続きを表示

「渋野日向子」特集記事

「ラグビーワールドカップ2019日本大会」特集記事

2015年10月20日のニュース