経済的観念では語れないスポーツ メダル獲得数=選手強化費は妥当か?

[ 2015年10月20日 12:50 ]

練習試合に臨む車いすバスケットボール日本代表の藤本怜央主将

 車いすバスケットボールの16年リオデジャネイロ五輪アジアオセアニア予選を兼ねた選手権が17日に閉幕した。日本は3位でリオ大会の切符を獲得。基本的ルールはバスケそのものであり、車いすを使用すること以外、ほとんど違いはない。時に転倒をものともしない選手の勇気と迫力に加え、障がいの軽重に応じた役割に徹する選手たちのチームワークも素晴らしく、認知度は飛躍的に高まった。8日間の大会には軽く1万人を超える観客動員があり、テレビによる生中継を含めたメディア露出も含め、多くの関心を集めただろう。

 「こりゃ球技じゃなくて格闘技だね。迫力がすごかった」(遠藤利明・五輪パラリンピック担当大臣)

 「障がい者スポーツという名前を変えないといけない。障がい者スポーツ、とは呼ばれたくないと思うよ」(鈴木大地スポーツ庁長官)

 競技に携わってきた多くの人々にとって、観戦した国のスポーツ施策に関わる関係者が「感銘」を口にしたのも収穫。だからこそ、1つの問題を提起しておきたい。これから20年に向けて、国が本格的に乗り出す選手強化の基本指標が「メダル獲得数」にあることについてだ。

 例えば、64年東京五輪で日本選手団の主将を務めた体操の小野喬さんは、五輪4大会で計13個のメダルを獲得している。1大会で複数の種目に参加できる個人ならではの金字塔だ。一方、団体競技、特に球技は1大会に当然1種目。メダルを授与される人数は多いが、国別のメダル獲得数では「1」としかカウントされない。数字で単純に比較することの無意味は、理解いただけるだろう。

 増加しているとはいえ、選手強化のための費用は限りがある。ならば、と日本オリンピック委員会(JOC)などはメダル獲得数や獲得可能性を基準とし、配分の多寡を決めてきた。国が主体となる今後も、指標には大きな変化はない見込みだ。だが、本当に「費用対効果」で競技の価値を比較することが妥当だろうか?日本が本当にスポーツの価値を認め、いたるところでスポーツにふれあえる環境を求めるなら、ある種の経済的観念から抜け出す必要があるのではないか。 (首藤 昌史)

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