「レガシー」だからこそ新国立運営に「官」のサポートを

[ 2015年8月17日 12:50 ]

スポーツ、コンサートなど多くの用途で使用された国立競技場

 やっぱり日本はスポーツに「お祭り」以上の価値を見いだしていないのではないか?14日に関係閣僚会議で承認された新国立競技場整備の基本的方針を聞いて、そう思った。

 最優先されたのは、20年五輪パラリンピックに必要な機能を備え、期日に間に合うように整備すること。それはいい。だが、大会後のビジョンを持たないまま運営を民間企業に任せることはどうか?関係者は「五輪後の民間活用とのすり合わせを行うまでの時間はない」と説明したが、時間がなくてもやらなければいけないことはある。

 64年東京で使用されたスポーツ施設は、今も日本スポーツの中核施設として存在している。国立代々木競技場しかり、駒沢公園しかり。つまり、それが大会の遺産=レガシーだ。巨大な施設になればなるほど、黒字での運営が難しい部分もある。だからこそ「官」のサポートが必要だろう。

 例えば、官営の文化施設を考えてみよう。官営の美術館や水族館は民営のものに比べ、入場料が抑えられるから利用しやすい。安い入場料収入だけでは黒字化が難しいため、必要とされるのが国や地方の補助だ。「文化の醸成」という大義名分とともに、納税者に対するサービスの側面もあるだろう。では、スポーツはどうか?

 民間企業が運営した場合、黒字化は最低限の条件。収容人員はまだ決まっていないが、最低でも6万人を超える器を安定的に黒字化するのは難しいだろう。多様なアイデアは出てくるだろうが、ビジョンがないままの机上の論理で、20年東京のレガシーは生き残っていくのか。不安を感じるのは私だけではあるまい。

 建設費の高騰を非難され、ならばと計画を白紙撤回し「ランニングコストまで抑制したのだから文句ないだろ」という、小学生の逆ギレみたいな思考が、この国の政治家を支配していないことを祈りたい。(首藤 昌史)

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