元大関・貴ノ浪急死…まだ43歳 豪快相撲で若貴と人気けん引

[ 2015年6月21日 05:30 ]

96年初場所で初優勝を決め賜杯を手に笑顔を見せる貴ノ浪

 大相撲の元大関・貴ノ浪で、幕内優勝2回を記録した音羽山親方(本名・浪岡貞博さん)が20日、大阪市内のホテルで急性心不全のため死去した。43歳だった。現役時代は「若貴」とともに相撲人気をけん引。引退後の06年1月には心房細動、敗血症、重症肺炎などを併発し緊急入院。一時心停止に陥るほどだったが、その後、回復した。2月からは日本相撲協会の審判委員に起用され、土俵下で目を光らせていた中、早すぎる最期となった。関係者によれば、遺体は同日深夜、大阪から名古屋の斎場に搬送された。

 あまりにも早すぎる死に角界に衝撃が走った。音羽山親方は1週間ほど前には、自宅のある名古屋でランニングを行うなどし、一緒に食事をした知人には「元気です」と明るく話していたという。

 故大関・貴ノ花の藤島親方にスカウトされ、87年3月の春場所に入門。1メートル96、160キロの恵まれた体で当時の横綱の初代若乃花の二子山親方からは「将来の横綱だ」と嘱望された。94年初場所後に大関昇進。同部屋の3代目若乃花、貴乃花や曙らとともに、平成の大相撲ブームを担った。豪快な投げ、つりを武器に大関には37場所在位した。勲章は初優勝を決めた96年初場所の優勝決定戦。同部屋の横綱・貴乃花を、自分の後方に倒す大技の「かわず掛け」で破った一番だった。

 04年5月の夏場所前には心臓の不調で入院。相撲を続けられる状態ではなく、3日目の不戦敗でついに現役引退を表明し、年寄音羽山を襲名した。その後は貴乃花部屋の部屋付親方として後進の指導に当たっていたが、06年1月末に体調を崩し、心房細動、敗血症、重症肺炎などを併発し緊急入院。一時は心停止に陥り、生死の境をさまよった。その後は奇跡的に回復した。

 10年の日本相撲協会理事選挙で貴乃花親方(元横綱)が二所ノ関一門を離脱する際、行動を共にした。2月からは審判委員に抜てき。頭の回転が速く、人望もあった親方には期待する声も多かったが、志半ばでの悲報だった。

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