照ノ富士 両親が事業失敗…期限付き留学「自分には時間がない」

[ 2015年5月27日 09:28 ]

高校時代の照ノ富士(後列中央)

 白鵬をはじめ現在の3横綱、3大関はいずれも30歳前後。待望の新世代大関だ。

 照ノ富士の人生の転機はモンゴル・ウランバートルにいた17歳の時。それまでスポーツに励むことはなく、成績優秀な高校2年生だった。だが、当時1メートル90、100キロ超え。自分でも巨体を持て余していると感じ、父・ガントルガさんに「体を鍛えたい」と相談した。

 もともと、親戚が白鵬の父・ムンフバトさん(モンゴル相撲の大横綱)と仲が良く、父はそのツテを頼った。すると白鵬の父から柔道クラブに入ることを勧められた。柔道に打ち込み始めて3カ月後、相撲にも興味を持った。当時モンゴルでは朝青龍の活躍でテレビ各局が大相撲を中継。空前のブームの中で「自分も日本に行きたい」と思った。

 そんな09年末。鳥取城北高が留学生を募集中と聞いた。同校の石浦外喜義相撲部監督が見守る中、母国でセレクションが開かれ、50人が参加した中で優勝(準優勝は2歳下の逸ノ城)。石浦監督から「プロに行きたいか」と聞かれると「頑張りたい」と即答した。両親は反対したが「どうしてもやる」と説得し、日本語の勉強も開始。翌年3月26日、逸ノ城と同じ飛行機に乗って来日した。

 年齢的には高3だが、1年のクラスに入った。日本語を教えたモンゴル出身のガントゥクス相撲部コーチは「入学時には平仮名、片仮名が書けた」と説明。無口な逸ノ城とは違い、同級生に積極的に話しかけ、泣きながら厳しい稽古にも耐えた。石浦監督は「意欲のあるやつだった」と述懐。と同時に焦っているようにも見えた。担任の吉本尋さんは面談でこう言われたという。「自分には時間がないのです」。実は留学後に両親が事業に失敗。1年で芽が出なかったら帰国するつもりだった。そして迎えた8月の沖縄高校総体。秘密兵器としてメンバー入りし、プロ入りのチャンスを得た。 (特別取材班)

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