“恩人”が語る白鵬 柏戸&大鵬で「柏鵬」目指し大横綱に

[ 2015年1月24日 06:30 ]

2003年、十両昇進を決め笑顔で会見する白鵬

大相撲初場所13日目

(1月23日 両国国技館)
 15歳で初土俵を踏んだ01年から優勝33回に到達したこの日までの14年間。常に身近な存在として白鵬に寄り添い、世話を焼いてきた人物がいる。宮城野部屋地元後援会幹事長で、部屋近隣にある居酒屋「す吾六」の店主である家中(やなか)勉さん(64)だ。明大在籍時に少林寺拳法部で主将を務めて関東大会で優勝。その経験を生かし、さまざまな場面で横綱の相談相手となった“恩人”が、大記録を成し遂げた白鵬の素顔と知られざる苦悩を語った。
【取組結果】

 私が白鵬を初めて見たのは、彼が入門した01年の春先でした。体重は70キロ弱と細くて、まさか横綱になるなんて…。「3年で幕下を目標に頑張りなさい」と伝えました。

 しかし、その3年後の04年初場所に十両に昇進。その際に白鵬から「家中さんは3年で幕下と言ってましたね」と言われてしまいました。幕下時代に彼は驚異的に体が大きくなりましたから。1年で30キロ以上は体重が増えたと思います。そして翌年の05年初場所には新三役。その場所に迎えた「成人の日」の取組前に地元の成人式に連れて行った思い出もあります。同年代の新成人と写真を撮った彼は「みんな、子供っぽいね」と話していました。その頃、私がサインをねだった際に彼が「横綱になったらこの字に改名してもいいかな」と柏戸さんと大鵬さんを意識して「柏鵬」と書いたことも。番付を上げる度にサインを書いてもらっていますが字を見ても成長が見て取れます。

 06年夏場所に大関となり、いきなり初優勝。当時、私は車の送迎をしていました。優勝の可能性が出てきた12日目の車内で「君が代を教えてください」と言ってきました。私が歌詞を書いて毎日練習して、千秋楽表彰式で口ずさんでいた時は凄いと思いました。

 07年2月には紗代子さんとの結婚が決まりました。しかし、彼は「日本人のお嫁さんをもらったことに対し故郷でぼろくそに言われています…」と嘆いていました。落ち込んでいたので私は「日本とモンゴルのDNAを引くあなたの子供は世界の王者になれる」と言って励ましました。宮城野部屋は今年で墨田区緑に引っ越して35周年。私の居酒屋も開店して35周年。できれば今年中に35回まで優勝を伸ばしてもらってお祝いしたいです。

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2015年1月24日のニュース