青学大 史上最速タイムで初V 8人が3年以下、黄金時代到来だ

[ 2015年1月4日 05:30 ]

ゴールで待ち受ける神野(前列左から3人目)ら監督、選手の輪に、青学大アンカー・安藤が跳び込む

第91回箱根駅伝

(1月3日 箱根・芦ノ湖~東京・大手町、復路5区間109・6キロ)
 歴史的大差で初戴冠だ。往路を制した青学大が復路も5時間25分29秒で優勝。史上初めて10時間50分を切る10時間49分27秒の驚異的なタイムで、2位・駒大に10分50秒の大差をつけ、初めて総合優勝を飾った。2位と10分以上の差がつくのは88年に優勝した順大以来27年ぶりで、平成に入っては初。大学創立140周年に花を添える圧勝劇となった。

 仲間の待つゴールはすぐそこだ。夢にまで見た瞬間。ビルの谷間に「悠哉コール」が響き渡る。フレッシュグリーンのたすきをかけた安藤(2年)は両手でガッツポーズをして、テープを切った。でも、まだ、スピードは落とさない。歓喜の輪へ全力で飛び込んだ。安藤が胴上げされ、そして、体重83キロの原晋監督(47)も3度、大手町の宙を舞った。青学大が往路の勢いそのままに復路も独走。史上初めて10時間50分を切り、2位に10分以上もの大差をつけた。「140周年にふさわしい優勝。大会記録、往路、復路優勝と信じられない」。出場20回目での初優勝。万感の思いが体中を包んだ。

 「山の神野」だけで勝ったわけじゃない。2位に4分59秒の大差をつけた往路優勝に復路メンバーは奮い立った。「復路優勝して大会記録をつくれればいいと話していた」と藤川主将(4年)。全員が独り旅となった単独走でも力を発揮。復路も区間賞3人、区間2位2人と実力を見せつけた。9区の藤川は右脚の疲労骨折でエントリーを外れた川崎(4年)のサングラスを借り「おまえの分まで走る」と快走。14・4キロの定点給水では、その川崎からペットボトルを受け取り力に変えた。チーム一丸の勝利だった。

 道のりは長かった。強化指定制度が始まった04年に、それまで指導経験のなかった原監督が就任したが、当時は大学の実績もなくスカウト活動も順風ではな かった。風紀は乱れ深夜帰りや麻雀も当たり前だった。結果を求められていた4季目の予選会で16位と惨敗。退学者も出すなど、解任、そして廃部の危機にもひんした。だが、指揮官の情熱は選手に伝わっていた。原監督と同時に入学した強化1期生たちが「最後の一年を原監督と一緒にやりたい」と訴え再挑戦のチャンスが与えられた。翌年の予選会で次点に入ると、翌々年には33年ぶりに本戦復帰。10年からは5大会連続でシード権獲得と確実に土台を築いた。

 そして今季。ついに強化は実った。3月に卓球の福原愛らを指導する中野ジェームズ修一トレーナー(43)の下「コア・トレーニング」を導入。準備運動、補強運動、ストレッチと全て変えたため、選手からの反発もあったものの、中野氏は筋肉図を見せて理解を求めた。走るために必要な腹横筋のトレーニングを重視。朝練習後に週3回、取り入れた結果、フォームが改善し、故障も減った。8区の高橋が「周りから青学はみんなフォームがきれいと言われた。新しいことをのみこもうとする姿勢が大きかった」と振り返った。

 来年も8人の優勝メンバーが残る。大会MVPを獲得した3年の神野は高らかに宣言した。「来年も総合優勝を目指して、4年生として引っ張っていきたい」。青学大の新時代が幕を開けた。

 ▼青山学院大学 1874年創立。陸上部は1918年創部。43年に箱根駅伝初出場。今回で20回目。これまでの最高成績は12、14年の5位。出雲駅伝は12年に優勝。全日本大学駅伝の最高は14年の3位。たすきの色はフレッシュグリーンに白のライン。大学の主な出身者は小久保裕紀(野球)、滝川クリステル(フリーアナウンサー)、桑田佳祐(ミュージシャン)ら。

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